進級試験合格です。おめでとう!
<<え2005/54み>>
美しさを「自然」と「人間の価値観」の両面から捉え、深い思索につなげようとした姿勢が見事でした。
【総評】
「美」の本質をテーマにしながら、自然美と人間の創造する美の違いに着目し、そこから社会のあり方や自分の考え方を見つめ直そうとした意欲的な意見文です。学年指導項目である「主題の明確さ」「構成の工夫」「体験や資料の適切な活用」「表現の工夫」などがよく実現されており、哲学的な語彙を用いながら論理的に展開されています。
【段落ごとの講評】
■第1段落(主題の明確さ)
冒頭から「美とは何か」という問いを哲学的に提示しており、主題が明確です。
■第2段落(体験や資料の適切な活用)
「アスファルトの割れ目に咲く花」や「伴侶動物」など、具体的な例が自然美を身近に感じさせる材料として効果的に使われています。抽象的なテーマに対して、読者が理解しやすい事例を重ねており、説得力を高めています。
■第3段落(構成の工夫)
「美に優劣をつける風潮」を教育現場やコンテストに即して批判的に描いており、社会的な問題意識も垣間見られます。芭蕉の俳句を引用して自然の美を捉える感性を伝えている点が非常に印象的です。自分の主張に文学的根拠を添える構成が優れています。
■第4段落(結びのまとめ方)
締めくくりとして、日常生活での美醜の価値観や社会的風潮を見直すよう促す内容となっており、主題に回帰しながらまとめられています。「鏡越しの私は美しい」という言葉に、自己肯定と主題の統合がうまく表れています。非常に完成度が高く、哲学的な深みも感じられる自作名言も入りましたね。
【特に優れていた点】
・主題を深く掘り下げている
・具体例を多角的に取り入れて説得力を高めている
・段落構成に工夫があり、論の流れが明快
・文学や時事の例を活用し、読者に印象づける文章表現をしている
【考えを深めるための質問】
あなたが「これは美しい」と思った自然の風景や出来事の中で、ほかの人が気づいていなかったような細かいところに目が向いたことはありますか? それはなぜ、あなたにとって特別な美しさを感じさせたのでしょうか。
■思考語彙 21種 24個 (種類率88%) 79点
n確か,n第,。しかし,。だから,。だからこそ,。なぜ,するため,そのため,だから,だろう,と考える,ないと,に考える,ば,もらうため,知らざる,知るべき,考え方こそ,見ると,触れよう,言わざる,
■知識語彙 75種 108個 (種類率69%) 90点
人間,他人,伴侶,作品,価値,俳句,優劣,入賞,具合,創造,動物,区別,古来,古池,嗜好,大切,太陽,存在,学校,完結,家畜,容姿,対立,対象,座席,意識,愛玩,授業,探求,文学,方法,旅行,時計,時間,最近,本来,本質,束縛,松尾,植物,概念,次元,歩道,没頭,活動,現象,理解,生徒,生活,相対,究極,管理,範囲,精神,紅葉,絵画,美人,美醜,自分,自然,芭蕉,芸術,若者,街路,言葉,超越,身近,軽視,造型,遠足,金賞,銀賞,銅賞,順位,黄色,
■表現語彙 151種 251個 (種類率60%) 96点
n確か,いつ,うち,がち,こと,これら,さ,すべて,するため,そのため,そば,それ,たち,たんぽぽ,つけ,づくり,とき,まま,もの,もらうため,よう,アスファルト,コロナ,コンテスト,コンプレックス,プロ,ペット,マスク,一,世の中,中,二,人間,今,他人,伴侶,作品,価値,俳句,優劣,入賞,具合,内,前,割れ目,創造,動物,区別,古来,古池,嗜好,多く,大切,太陽,存在,学校,完結,家畜,容姿,対立,対象,山登り,度,座席,当たり前,形,彼ら,性,意識,愛玩,我々,授業,探求,文学,方法,旅行,昼,時,時計,時間,晩,最近,朝,本来,本質,束縛,松尾,枠,枠組み,植物,概念,次,次元,歩道,気,気持ち,水,没頭,活動,物,現象,理解,生き物,生徒,生活,用,的,相対,禍,私,究極,管理,範囲,精神,紅葉,絵画,美,美人,美醜,考え方,自分,自然,芭蕉,芸術,若者,葉,蛙,行い,街路,言葉,誰,豊か,超越,越し,身近,車,軽視,造型,達,遠足,部,金賞,銀賞,銅賞,鏡,雨,面,音,順位,黄色,2つ,
■経験語彙 38種 49個 (種類率78%) 76点
しまう,つける,づける,できる,とどまる,と考える,に考える,もらう,られる,れる,作る,使う,出回る,刻む,名付ける,咲く,変える,得る,思い浮かべる,慰める,持つ,昇る,比べる,気づく,消える,生み出す,病む,知る,綴る,落ちる,落ち着く,見える,見つける,触れる,認める,降る,隠れる,飛び込む,
■総合点 87点
■均衡点 2点
美と生きる
高1 なおや(aamaka)
2025年6月1日
美とは、本来、自然の造化による創造物の性質を言い表す言葉である。美はだから、人間の存在以前から、滅亡の後まで、自然が存在して進化を続ける限り、人間に関係なく持続し続ける性質であることを、確かに、承知し直さなければならない。人間の造型の美しさは自然美の前では多くは低い次元の美であった。なぜ低い次と言わざるを得ないのか。究極性、価値性において、それは相対性の範囲内にとどまりがちだからである。私たちは本質的な自然を今一度知るべきだ。そのために考えられる方法は2つある。
第一の方法としては、自然を見つけることだ。自然に触れようと考えたとき遠足、山登り、旅行を思い浮かべるが、自然は私達の身近に存在する。歩道のアスファルトの割れ目に咲く植物や街路。また、太陽が昇る、雨が降るといった現象もまた自然である。その中に美が隠れている。アスファルトの割れ目に咲くたんぽぽの黄色の美しさや、車の座席から見える紅葉した葉がひらひらと落ちる、まさにこれらが美しさだ。この自然美を見ると人間は落ち着いた気持ちでいられる。私たち人間は古来から動物を家畜や愛玩用に生活を共にしてきた。しかしいつからだろうか、私たちが彼らをペットというようになったのは。彼らは我々が精神的に病んだとき、そばで私たちを慰める。彼らは伴侶的な生き物なのである。そのため最近では彼らを「ペット」ではなくコンパニオンアニマル(伴侶動物)という言葉が使われるようになった。だからこそ人間が動物をペットと名付け、嗜好的に管理することは自然美という大きな枠組みでみたとき、それを軽視した行いになる。動物は美であり、束縛されるものではないのだ。
第二の方法は美に優劣をつけるような意識を変えていくことだ。学校の部活動や授業でも、俳句などの文学作品や絵画といった芸術作品を人間はこぞって優劣をつけ区別する。しかもそれがあたかも当たり前かのようにコンテストでは金賞、銀賞、銅賞といった具合に美に順位をつけてしまう。生徒は「入賞するため」、「プロに認めてもらうため」だけに作品づくりに没頭する。このとき、美という面で自分で大切にしていた形のないものが心から知らずうちに消えてしまう。本来、美を創造することは、松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」のように自然の美をあるままに綴ることである。この美探求で気づく美は、誰かに言われないと気づけない、または理解できないものがほとんどだ。
確かに、人間は美を生み出し、その美が私達の生活を豊かにした。正しい時間に時を刻む時計は実に美しいものだ。自然の中では、朝昼晩はあっても時間という概念はなかった。が、時計は時間を作ってしまった。しかし、美とは自然という枠内で完結するものではなく、すべてを超越するものである。よく若者はコンプレックスという言葉を使い自分の容姿と他人を比べてしまう。コロナ禍に、マスク美人という言葉が世の中に出回ったほどだ。このような美醜の対立を超越する考え方こそが美である。だから、鏡越しの私はとても美しい存在である。美とは対象物の美しさではなく「醜さ」を持ち得るものだ。