勉強
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 人間の生涯は学び続ける果てしない旅である。人間が生涯にわたって学び続けていくには、エネルギーとなる何かがなければ、それは容易なことではない。探す楽しみや見つける喜びは増大することになる。つまり、このような楽しみや喜びが、エネルギーとなるのである。学ぶエネルギーを実感するにも、人間は、いつまでも学び続ける人生を送るのである。人間が味わう充足感や感動の大半は、物を学ぶことから生まれるのではなかろうか。私は、学ぶことは楽しいと思うべきだと思う。理由は二つある。

 第一の理由は、学習はもともと面白いからである。母が高校生の頃の話だ。母はボンジョヴィのファンクラブに入りたい。そのためには、英語の勉強が必要だ。だから、頑張った。ファンクラブに入るための勉強は、とても楽しかったらしい。母は、英語が話せるようになった。ボンジョビの情報交換を、手紙でしていたらしい。わからない単語を辞書で調べることも、ボンジョビが絡んでくると幸せな気分になるらしい。私には意味が分からない。

ボンジョヴィの情報交換をしているうちに外国の友達ができたらしい。スペイン人と、オーストラリア人らしい。私は、外国の友達が作れていいなと思った。。なぜなら、わたしには友達が少ないからだ。ボンジョヴィの情報交換をしているうちに外国に行きたくなってきた。外国に行くために英語の勉強をたくさんした。母は、その時はまるで天国のような気持で英語を学んでいた。私は、自分の夢のために勉強するのは楽しそうだなと思った。英語が話せるようになって、外国に行くことになったらしい。見送られるとき、母のおばあちゃん、私のひいおばあちゃんに「外地にきおつけて行ってくるがで外地でけがをしたいかんで気を付けてがいちにいくがで。」とまるで戦争に送り出すときみたいに言っていた。外国に着いた。オーストラリアに行ったらしい。来るところを間違えたと思ったらしい。時間がたつと慣れてきたらしい。3年間滞在してにほんに帰った。とても楽しかったらしい。だから、勉強は面白いらしい。私は、ボンジョヴィの良さがいまいちわからないけど夢を追うために勉強するのは楽しいだろうなと思った。

 第二の理由は、つまらない勉強は頭に入らないからだ。学校は、無理やり勉強させる。無理やりだから、頭に入らない。学校は、テスト勉強を指してくれるが、それもむりやりだから、頭に入らない。点数が悪いと先生は怒る。私には、意味が分からない。なぜなら、無理やり指しているくせに何を言っているのだろうしたい人だけすればいいのにと思うからだ。しかし、自分が好きな勉強は頭に入るし成果が出るからやる気が出る。例えば、ゲームなどだ。ゲームや自分のしたい勉強は間違えたりしても自己責任だ。しかし、学校の勉強は間違えると、連帯責任だ。問題ができないのは自己責任であり連帯責任ではないと思う。だから、みんな無理やりやっている。だから、頭に入らない。一方で自分の好きな勉強は自己責任で連帯責任ではないのでこちらも遠慮することがない。だから、好きなように学べる。だから、つまらない勉強は頭に入らないと思う。

 確かに、勉強にはつらい面もある。しかし、「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言もあるように自分から進んで楽しく勉強すれば学んだ知識を生かしていくことができるだろう。母と同じように好きなものから始める人は、好きなことのための勉強はつまらなくないから好きなことを学ぶべきだと思う。