家族の長所
小6 あこりお(akorio)
2025年6月1日
「このメロディーは、この音色でしょ。」
また注意されてしまった。母が教えてくれる音楽は、難しい。
私はピアノを習っている。今は夏のコンクールに向けて、練習を重ねている。その練習が行き詰まった時に母は練習に付き合ってくれる。普段は、食事を作ってくれたり、洗濯をしてくれている、優しい母だ。そして父は、いつも家族のために働いてくれている会社員だ。しかし家では、面白くもない昭和のネタをしょっちゅう言ってくるので、私も母も飽きてしまっている。本人は、私たちが面白がると思っていっているのだが、全く面白くないことが多い。
母の話に戻るが、母は、結構厳しくピアノを教えてくれる。二時間ほどつきっきりで、取り組んでいる曲のポイントを、みっちり教えてくる。先日、母と一緒に練習した時は、力を抜いて弾かないといけない箇所がどうしてもできなくて、何度も何度も繰り返して練習した。するとある時、簡単にできるようになったのだ。練習が嫌になってしまう時もある。それでも、練習が終わると、結構上達しているものである。これらの経験から、私は弾くのが嫌な時は嫌な時ほど、なにも考えないようにして、ピアノで何かしら弾き始めるようにしている。そうすると、だんだん気分が乗ってきて、他の曲も弾きたくなるからだ。練習を終えて居間に戻ると、父が
「間に合わない。もう、どうしよ。間に合わない。」
と、まるで父がコンクールに出るかのように言っていた。もう慣れている私は、
「なにに間に合わないの。」
と会話を打ち切った。
そうして母が練習に付き合ってくれた後日、父と母が喧嘩をしていた。原因は、父が母の相談をまともに聞いていなかったり、父が母に相談もせずに行動を起こしてしまったことだった。きっとそれがつもりに積もって爆発してしまったのだろう。この喧嘩は、数日間続いた。私は、いつもより疲れた母の顔や言動を見て、一刻も早く元の関係に戻って欲しいと思った。すると、喧嘩を始めた何日か後に、もう一度喧嘩をしていて、その後で徐々に関係が元に戻っていた。その一週間後ぐらいに、父のダジャレ・ネタ癖が戻っていった。きっと、父も母も、自分の思っていた相手の気持ちが、実は予想通りでは無かったことにショックだったのだろう。そして、喧嘩することによってお互いの気持ちを理解することができたのだと私は考える。そして、理解することによって、ちょうど良い距離や関係を築けるのだと思った。
私は、家族とは人間にとって心の支えとなる大切な存在であると考える。お互い、困った時は支え合い、共に喜びを分かち合える、そんな仲間だと思う。それでも、「親しき仲にも礼儀あり」という諺があるように、家族の関係の中にも、礼儀は必要だと思う。共に生きていく、仲間として。