◆〔要約〕は389文字と長くなっているので、もっと削ってしまいましょう。 【当為の主題】は、『私たちは自然がもともと持つ偉大な美というものに、もっと目を向けていくべきである』という意見。
◆【複数の方法一】『自然とふれあう機会を積極的にもつことだ』。“自然とは長い年月を経て成り立っているもの”。キャンプ宿泊で言葉では言い表せない景色を見ることができることを紹介、また、身近な朝日や夕日、雲の動きにも目を向けるようにも示唆しました。
◆【複数の方法二】『美に順位をつけるような美術教育や美意識を考え直すことである』。生徒たちの作品に順位をつけるのは適切ではない。競争が前提となると、よい評価を受けることを目指した作品作りになってしまうかもしれませんね。それでは本当の表現とはならないでしょう。
◆『確かに、美を追求する芸術家の業績も価値のあるものである』しかし……「美とは外観だけで決められるのではなく、その本質を表している」と【自作名言】を入れました。終わりは【当為の主題】に戻りましょう。
<<え2016/235pみ>>
あおにまさん、今回の作文における自然の美に関する考察は、非常に深く、洞察に富んでいます。
特に、自然が持つ「美」という性質を、人間の価値観とは独立したものとして捉え直す視点は、哲学的な探求を感じさせます。
また、自然との接触を通じてその美を再発見しようとする提案は、具体的で実践的な方法論として優れています。
あなたが指摘する、美術における競争文化に対する批判も、現代社会における美の捉え方に対する重要な問いかけを投げかけています。
この部分では、美の多様性と個々の価値を尊重する視点が感じられ、読者に深い共感を呼び起こすでしょう。
さらに、自然の中に見出される美の究極性についての記述は、詩的な表現が印象的であり、文学的な魅力を感じさせます。
方法がよく書けており、当為の主題も適切に展開されています。
名言を引用することで、あなたの論旨を強化している点も評価できます。
全体として、自然と人間、そして美術との関係を巧みに論じており、高校1年生の作文としては非常に高い理解と表現力を示しています。
項目評価:
-方法がよく書けています
-当為の主題がよく書けています
-名言がよく書けています
内容◎ 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎
字数/基準字数:1269字/600字
思考点:90点
知識点:87点
表現点:82点
経験点:80点
総合点:91点
均衡点:6点
■思考語彙 25種 30個 (種類率83%) 90点
第,、確か,。しかし,。だから,。つまり,。例えば,。確か,あるので,いえば,いくべき,いるので,しか考える,しよう,するべき,そのため,だろう,と思う,ないかも,なければ,に考える,はだから,与えよう,多いらしい,考え直すべき,見つけう,
■知識語彙 72種 119個 (種類率61%) 87点
一昨日,一番,中心,人間,以前,作品,価値,個性,偉大,名言,基準,夕日,外観,大切,大半,存在,学校,宿泊,対立,山奥,年月,性質,想像,承知,持続,教育,方法,日常,昨日,景色,最大,最近,朝日,本質,業績,機会,段階,滅亡,状態,環境,生徒,生活,目的,短時間,積極,究極,競争,範囲,結果,美意識,美術,美醜,自分,自性,自然,芸術,観察,言葉,超越,身近,近代,追求,造化,道端,適切,重要,鑑賞,開催,開発,関係,限定,順位,
■表現語彙 119種 224個 (種類率53%) 82点
、確か,。確か,あと,ここ,こと,そのため,それ,たち,ところ,どれ,もの,よう,一,一つ,一昨日,一番,中,中心,二,二つ,人間,以前,何,作品,価値,個性,偉大,元,内,動き,化,十,名言,地,基準,夕日,外観,大切,大半,姿,存在,学校,家,宿泊,対立,山,山奥,年,年月,性,性質,想像,承知,持続,教育,方,方法,日,日々,日常,昨日,景色,最大,最近,朝日,本質,業績,機会,段階,滅亡,物,状態,環境,生徒,生活,百,的,目,目的,真,短時間,私,積極,究極,空,競争,範囲,結果,美,美意識,美術,美醜,自ら,自分,自性,自然,色々,花,芸術,街,観察,言葉,超越,身近,輪,近代,追求,造化,道端,適切,重要,鑑賞,開催,開発,関係,限り,限定,雲,順位,
■経験語彙 41種 62個 (種類率66%) 80点
おく,かける,しか考える,しれる,そなわる,つける,できる,と思う,に考える,ふれあう,もつ,られる,れる,わかる,与える,乗り越える,作り上げる,作る,優る,優れる,出来る,向ける,咲く,変わる,始まる,得る,成り立つ,持つ,望む,決める,直す,経る,続ける,考え直す,表す,見つける,触れ合う,言い表せる,負ける,過ごす,離れる,
■総合点 91点
■均衡点 6点
美とは、本来、自然の(感)
高1 あおにま(aonima)
2025年6月1日
美とは、本来、自然の造化による創造物の性質を言いあらわす言葉である。自然はその創造するすべてのものに、美という性質のほかは与えない。もとよりそれは、美という性質を与えようと自然が望んだ結果与えられた性質ではなく、自性としてそうなった性質である。自然の美の本質は、美醜の対立を超越したところにある。自然には醜いものがない。醜いものに対する美しいものがあるのではなくて、どんなものもそのままの性質において美しいのだ。美はだから、人間の存在以前から、滅亡のあとまで、自然が存在して造化を続ける限り、人間に関係なく持続し続ける性質であることを、確かに承知し直さなければならない。この超越性の故に自然美は究極の美であり得る。けれども、近代に始まった美術は、美の基準は個性におかれ、美と対立する醜という範囲内でしか考えられなくなり、自ら美の本質を低い段階に限定する状態となったのであった。だから、私たちは自然がもともと持つ偉大な美というものに、もっと目を向けていくべきである。そのために考えられる方法は二つある。
第一の方法としては、自然とふれあう機会を積極的にもつことだ。自然と触れ合う機会を積極的に持つことで、自然の真の姿を見つけうことができる。自然というものは短時間で作り上げられたものではなく、長い年月を経て成り立っているものが大半だ。例えば、道端に咲いている一輪の花があるとしよう。その花は、昨日や一昨日できたのではなくて色々な環境を乗り越えて出来たものである。また触れ合う機会といえば、学校などで開催されるキャンプ宿泊だ。キャンプ宿泊では街の中心地から離れたところにある山で開催される。ここでの最大の目的は生徒たちが日常生活から少し変わった日を過ごすことだ。そこで生徒たちは、言葉では言い表せない景色を見ることができるだろう。しかし、山奥に行って自然を観察しなくても、意外と身近に自然は存在している。例えば、朝日、夕日、空の雲の動きなどだ。
第二の方法としては、美に順位をつけるような美術教育や美意識を考え直すことである。最近では、生徒たちが作った全作品に順位をつけることが多いらしい。そこで美術教育や美意識を考え直すことが大切になってくると思う。生徒たちは自分たちしかわからない想像を元にそれを作り上げているので、それを順位化するのは適切ではないかもしれない。つまり、最近の美とはどれが一番優れているのかを決める競争のようなものになっている。競争ではなくて、一つ一つの作品に目を向けることがもっと重要なことだと思う。
人間も自然にも負けない物を日々開発している。しかし自然とは何十年、何百年とかけて作られたものであるので、自然の方がまだ優っている。確かに、美を追求する芸術家の業績も価値のあるものである。しかし、私たちは自然の中に本質的にそなわった美をもっと鑑賞するべきである。美とは外観だけで決められるのではなく、その本質を表しているという名言があるように、もっと私たちは美というものを考え直すべきだ。