先生の存在
小6 たくみ(nomutaku)
2025年6月1日
いつも、給食のときに先生がどこかの班の人と一緒に給食を食べる。それで、7日に1回僕たちの半のところで給食を食べに来る。その時は先生必死になって面白いことや先生がいい気分になることなどを話すために7個や8個、多い時には10個ほどの話題が出てくる。僕はその時に先生と野球のことを話すのが楽しみで、よく夢中のなって話をしているのだ。
先生がぼくたちの半のところで給食を食べる時は多くの話が出で来るが、その中でも僕は野球の話をよくする。なぜかというと、その先生は阪神ファンなので、ヤクルトファンの僕とは少し話が違ってくるがそれでも同じ野球の話なので、話がかみ合うのである。また、その時は先生に合わせて阪神タイガースが勝った話などを主にしている。そうすることで、話を進めていくことができる。ただ、阪神だけだと面白くなくなってしまうので、時々ヤクルトの話もしている。でも、そのじかんがとても楽しく感じるのだ。ただ、僕の話だけだと他の人が面白くないために、たまにはほかの人にも話を背せてあげている。こうすることで均等に話すことができる。その時間がまるで、同窓会やお祝い事などのことで、久しぶりに会った友達と時間のことを忘れてたくさん話すみたいに楽しくなってしまい、気が付けばもう給食が終わる時間に近づいている。でも、また回ってくるので、それを楽しみにまとうとも思った。
お父さんは、高学年のときの先生がとてもよかったのだそうだ。その先生は明るい先生で、サッカー大会の練習が土日にあったときにわざわざ来てくれて、差し入れをしてくれたりしたのだそうだ。また、先生の家に遊びに行ったことがあって、とてもいい家だったのだそうだ。さらには、とてもやさしく教えてくれる先生だったのだそうだ。もし僕がその先生の児童になったら、あまり嫌な思いをせずに済み、あまり反抗しなくなるだろうと思った。また、いやだった2年のころの先生と比べ物にならないくらいいい先生だと口に出しそうになるかもしれないとも思った。さらに、その先生が育てている児童は自動的に先生の言うことに耳を傾けて聞くようになるだろうとも思った。
このように、世の中にはよい先生がたくさんいる。例えば、優しい先生だったり、おもしろい先生だたり、自分と一緒になって話をしてくれたりする先生などだ。また、自分の担任の先生というものは人間にとって、たった一人のかけがえのない大事な人だと思った。そして、その先生は自分たちが大人になったときには、忘れることができないような存在に変わってゆくのだとも感じた。また先生か来る日が回って来るので、その前に阪神タイガースの話を考えておこうと思った。