真実の伝え方
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ノンフィクションの書き手は在るものを創ろうとし、フィクションの書き手は在らしめるために創ろうとする。だからフィクションの方が真実で、ノンフィクションは真実から遠ざかるだけだという考え方がたくさんある。何もかもを真実だけをベースにして書くと、逆に真実というものに到達するのが不可能になる。事実の断片と断片の間は常に埋まらないものであり、真実全てを手に入れることは無理だ。またこの世に万人が認める唯一無二の絶対的な事実があるわけでもない。だからノンフィクションとは事実の断片による、事実に関する仮説に過ぎないのだ。事実をありのままに伝えることは大事だが、仮説により真実に近寄る考えもある。
まず、「真実をありのままに伝える」ということについて考える。嘘をつかず、真実を包み隠さず伝えることで、相手との信頼が深まり、話し相手も発言に責任を持つことができる。もちろん人によって「事実」の捉え方が異なるため、同じ出来事について話していても、相手にとってはそれが嘘のように聞こえてしまい、関係が悪化することだってあるかもしれない。しかし特にニュースなど公共の情報においては真実を正確に伝えることは極めて大事だ。例えばただの少し強い雨にも関わらず、、「台風が来ます」と大げさな表現を使って仕舞えば人は無用な不安やパニックに陥り、社会的問題を起こす可能性がある。また、「真実は人を傷つける」という考え方をする人もいるが、逆に真実をいうことで、周りの人を助けることができる場面もある。例えば日本は自分の意見をあまりはっきり言わない傾向があるため、カフェが寒くても誰も寒いと口に出す人は少ない。そんな時に「すいません。ちょっと冷房が効き過ぎているので調整できますか?」という一言で周りの人を救うことができたりする。
しかし事実はいつも優しいものではなく、一言で人を傷つけることだってできる。けれど言い方を工夫することで、あるいは遠回しに伝えることで人を傷つけずに相手にメッセージを届けることができる。嘘をつくことで真実に近づくのは有益な時もある。まさにおとぎ話が良い例だ。御伽話を通じて誰もが作り話だということは皆知っているが、物語を通じて真実を知ったり、世界の問題などに気づくことはたくさんある。例えばジョージオーウェルが書いた動物農場は完全なフィクションだがソ連のスターリン体制を批判する政治的な作品であり、その世界を知ることで読者は歴史の生々しい‘真実‘に触れることができる。また、最近私の学校では電子タバコを吸うのをやめるように呼びかけるキャンペーンが行われている。その一つに全生徒に電子タバコを吸ったらどうなるのか見せる動画があった。しかし電子タバコから出る症状は人によるものであり、吸っただけで死ぬほど酷い病気になる可能性は少ない。つまり学校は電子タバコを吸った結果1番悪い症状を選んで見せているということだ。しかしそういうビデオを見せるのは効果的だと私は思った。なぜなら人に何かを伝える時には「どんなふうに伝えるか」が大きな役割を果たすからだ。
確かに事実をありのままに伝えることは大切だし、その反対に嘘をつくことで真実に近づくという考え方もある。どちらにもメリットとデメリットがあるということだ。しかし1番重要なのは自分の伝えたいメッセージが相手に伝わるということだ。どんな伝え方をしても、相手に自分の言いたいことが伝わることが会話やコミュニケーションの間では1番重要なのではないかと私は思う。「言葉はナイフにも端にもなる」という言葉があるが、それはつまり同じ言葉でも使い次第で人を傷つけることもつなぐこともできるということだ。だからこそ何を伝える会場にどう伝えるかが重要なのだ。