思いやりを持った意思疎通と明確な意思疎通
   中2 あかるら(akarura)  2025年5月1日

 島国言語の特色のひとつは、相手に対する思いやりが行き届いていることだ。ヨーロッパの言語と比べ対立関係があまり発達しない。その代わり、対人関係の微調整の感覚が発達しているのだ。島国言語のもう一つの良さは話の通じの良さである。省略の多い要点のみをおさえた言葉のやりとりを通してお互いを理解しあう。つまり日本語は冗語性の少ない言語なのだ。



島国言語は相手に対する思いやりが前提となっていて、短い言葉でも通じ合えるという良さがある。この思いやりには対立を引き起こしたくないという願いが込められている。私の通っていた公立の小学校では友人関係が悪化しないようにとの配慮から論争は起こらなかった。相手の意見に対する反論は相手に不快感を与えると思われていたからだ。だからこそ常に自分の意見の言い合いではなく多様な意見を受け入れる空間が出来上がっていた。「丸く収める」という言葉があるように自分と異なる意見に対しても「確かに○○という意見には~という良さがある。」と積極的に、そして柔軟に受け入れることで相手に対して納得の意を示していたのだ。この経験から日本という国の環境で育った子供達がどれほど丁寧に言葉を使用しているのか、そして日本語という島国言語にどれほど優しさと思いやりがあるのかを私は知ることができた。つまり島国言語は相手の気持ちを思い会話の潤滑油となる存在なのだ。



 しかし、明確な意思疎通をするためには大陸言語の方が適している。私が受験をした中学校には帰国生が多く、ディベートやディスカッションの際には主張が激しくなることが多い。また雑談であっても中には主張を押し通す生徒もいる。そのため入学当初はカルチャーショックを受け精神的な疲労感さえあった。また興奮して意見を述べる雰囲気に押され、話している内容を聞き取ることは少なかった。しかしよく聞いてみると自分と同じ、または似たような意見を主張していることに気が付いた。これは賛成・反対を言葉で明確に表さなければ分からなかった発見だ。島国言語には対立関係を生まないとする意識があるように、大陸言語には誤解を招きたくないという思いが根底にある。だからこそ「大陸」とあるようにより広い範囲のより多くの人へ伝わるのだ。



確かに島国言語にも大陸言語にもそれぞれ良さがある。しかし最も大切なことは何をどう伝えたいのかを考えるということである。「重要なのは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを見つけることである。」というドラッカーの言葉がある。自分の主張内容を明確にしてこそ、島国言語・大陸言語のどちらで伝えれば良いのかが初めて明確になるだろう。