家族と僕
   中1 ジュンノスケ(akasiyu)  2025年6月1日

 今日もまた、何気なく家に帰って家族で食卓を囲み食事をしている。

そんな僕の家族を紹介しよう。<題材>

僕の母は、スペイン舞踊家で、その昔には、本場のスペインでフラメンコを教わったという。現在は、踊ることは少ないが、踊っている姿はかっこよく、フラメンコ教室を開設している。

父は、とある企業の社長で、仕事をこなしていて、何事にも真剣に取り組んでいるところがカッコイイ。

母は、とても優しい。料理がおいしくて僕のがんばっていることなどを応援してくれる。

父は、やることやったら自由だからそれまでにやることを終わらせてほしいという考え方で、その影響が僕に染みついている。



もしも、僕に兄弟がいたならどうなっていただろうか。

きっとうるさかったうえに、お金がかかるから、中学受験ができなかったかもしれない。

でも、旅行などをした時には楽しさは二倍だろうし、暇なときは兄弟と遊んで時間をつぶせるかもしれない。そして個人的には兄弟を選択できるなら妹がいいなと思う。なぜかはわからない。おそらく動物的直感。

 

また、僕の家庭は、ダジャレ一家である。ダジャレを言い出したらそれに続けてダジャレが飛んでくる家庭なのだ。でも、続くダジャレが思いつかない時もある。そんな時は普通に「寒いなー」と反応して終わる。<構成>その影響か、僕は、風の音を再現するのが上手になっていた。

言葉の森にある、ダジャレ集からもしばしばダジャレを借りている。例えば「バスガイドが来る前にバスが移動」や、「ヤクルトのおばさん。やーくると思ったよ」<表現>などがある。

大体ダジャレが続くことはないが。

もしかしたら笑ってくれるかもという思いでダジャレを言い続けている。



さて、人間にとって家族とはなくてはならない存在である。<主題>しかし、早くにして親を失ってしまった人もいる。そんな人のための募金機構があるくらいなので、ものすごく大切なものだ。怒られて、いやな思いすることもあるが、それでも親は、親。いないと、僕は、始まらない。そもそも怒られるということは自分に非があるはずなので、半ば自業自得なのだ。

そして、大切な親からはたくさんのものをもらっている。 僕らのために払ってくれたお金や、愛情などである。それをただでもらっていくなんていうのは少し悲しいことだ。親孝行をしてしっかりともらった物の分以上に渡して、もらった物を返してほしいと私は思う。

今日もまた、食卓ではダジャレとともに面白い会話が飛び交っている。