能を見るとわかるが(感)
高2 あいらう(airau)
2025年6月1日
力が型を生むのではなくて、型が力を生む。この思想のもとには、人間の自然、身体というものへの否定がある。この身体の思想は西欧近代のたとえばデカルトの示した精神と肉体の二元論とは、全く対照的なものである。身体を機械のように扱い、軽視する風潮は問題だ。
その原因としては第一に、身体と心を別次元のものとする二元論的な考え方が日本でも広まって、身体と心が相互に作用しあうことが忘れられたからだ。私の通っているテニススクールでは、練習前に40分ほどヨガをしていた。また、試合の日は、朝早起きしてヨガをし、会場についてからもう一度ヨガをするよう言われていた。当時はヨガなど意味がないと思っており、ただ適当にこなしているだけだった。しかし、中学3年生になり、一度テニスを離れ、受験勉強に専念するようになった。そして、入試1ヶ月ほど前になると、緊張で夜眠れなくなることが多々あった。そこで、寝る前に紅茶を飲んでリラックスできるようにしたり、運動をして疲れさせるなど寝るために様々なことを試したが、最後は寝る前にヨガをするということに行き着いた。ヨガをすることで、自律神経を整え、睡眠の質が向上した。その影響もあり、無事受験は成功に終わった。高校に入ってからテニスを再開したのだか、受験の時の経験から、試合前は必ずヨガを行うようになり、試合では序盤から足が良く動き、次第に結果が出るようになってきた。このように、体と心を切り離さず、一体のものと捉え、体を大事にすることで心も安定するのだと思う。
その原因としては第二に、身体の知恵を無視するようになったからだ。現代社会では、労働者の立場が弱いとされる社会構造から、ブラック企業が増えている。ブラック企業とは、長時間労働やハラスメントなど、従業員に劣悪な労働を強いることを指す。その結果として、総務省のデータによると、仕事がなく、求職活動をしている完全失業者が占める割合は年々増加傾向にあることが見て取れる。これは、上司が部下の疲労を考えず、身体を酷使させることにより、精神が病んでしまうためだろう。身体と精神は一体であり、身体を軽視すると気付かぬうちに精神もすり減らしてしまうのだ。このように、現代の社会では身体を二の次とする風潮が強い。そのため私たちは、身体に気を使い、十分にケアをしていくべきだ。
確かに、心にこそ人間は自分らしさを感じる。しかし、人間とは、心が体を作っているのではなく、心と体の一体によって存在するのだ。私たちは精神だけを重視するのではなく、身体も大事にしていくべきだ。