人間の生涯は物事を
   中3 あかとあ(akatoa)  2025年6月1日

 人間の生涯にわたって学び続ける。この世に生まれた瞬間から、人生八十余年を迎えても、何事かを学ぼうとする。猫や犬も学習能力をもった動物であるが、彼らは、生涯の早い時期に学ぶことをやめてしまっているように思える。人間が生涯にわたって学び続けていくには、エネルギーがなければ、それは容易なことではない。そのエネルギーとは学ぶことによる楽しみや喜びから得ることができると思う。それぞれ、学び方や学びとるものの違いはあれ、このエネルギーがさらに学習意欲をかきたてる。学ぶエネルギーを実感するためにも、人間は、いつまでも学び続ける人生を送るのである。人間が味わう充足感や感動の大半は、ものを学ぶことから生まれるのではないか。

私は「人間にとって学びとは必要不可欠である」と思う。

そう思う第一の理由は「学ぶことは人間に感動や幸福感をもたらす」からだ。

私は今卓球に夢中になっている。また一つできることが増えたという幸福感や試合に勝ったときの感動が心地いいからだと思う。卓球をはじめたのは小5の冬だった。最初は、お遊び気分でお父さんや知り合いのおじさんに相手をしてもらっていただけだった。すごく楽しくその時から私は卓球が好きだったが、なにか特別な感情は全くなかった。その後、知り合いの紹介で卓球クラブに入った。これまでとは違いラケットの振り方や角度まで様々なことを教えてもらった。学んでいくうちに上手くなり、いつの間にか私は卓球が生きがいになっていた。卓球で新しい技術教わったり、試合を通して学んだりすることから私は感動や幸福感を得ていたのだと思う。

そして、第二の理由は「学びが発展につながる」からだ。

人間は縄文時代からも常に学び続けてきたのだと思う。例えば、マンモス一匹倒すにしてもマンモス相手に人間が何人いようと素手で敵うはずがない。そこで、縄文人は物事から学びを得て鑓という武器を作ってマンモスに対抗した。そんな地道な学びが今の暮らしを作ってきたのだ。川に行かなければなかった水が今では蛇口を一ひねりするだけ出てくる。これも、川に汲みに行く手間を省くために井戸というもの作ったという学びから発展してきたのだ。これからの発展のためにも人間は学び続けるのである。

以上のふたつの理由から私は「人間にとって学びとは必要不可欠である」と主張する。確かに学びとは学校の勉強などつらい面もある。でも、その勉強もあなたに感動を与えたり、世の発展に貢献してきたのだ。「人間は学び続けなければならない、学ぶことをやめたら人間でなくなる」という名言があるように人間は今までもこれからも学びと共に生きるのだと思う。