古い物・新しい物の価値観
   中2 あきかは(akikaha)  2025年6月2日

 百年以上家具を使ったという例は別に珍しくない。百年の木目は、いまだ未熟な私たちを控え目だが確実にしっかり応援してくれるはずだ。「百年使える百年の木目をもった家具」こそ、無言だが、もっとも説得力がある対話相手のように思える。私はコロナ禍、使い捨てマスクを毎日新しい物に変えるということに、少し罪悪感を覚えていた。適度に新しくしなければ自身の体調にも響いてしまうため仕方なく飲み込んだが、たった少しの役目しかないのはマスクが可哀想だと感じていた。このように、簡単に物を捨てられない性格の人はいつつも、新しくすることが必要不可欠である場面は多くあるだろう。



 確かに、古い物は良い。私は幼い時期から、家族や親戚にいくつものぬいぐるみを買ってもらっていた。そのぬいぐるみと何の関係もないようなカタカナの名前を付け、旅行に持っていこうとしては両親に置いていきなさいと言われていた。一つ一つにたくさんの思い出があるにも関わらず、お店で「かわいい」と率直に感じた物があると買いたくなってしまい、ぬいぐるみは増えていくばかりである。そんな中で、最も大切な物はどれかと言われると、それは十年ほど前に買ってもらったくまのぬいぐるみだ。他にも見た目がかわいらしいぬいぐるみはたくさんあるが、そのくまに対しての思い入れは一番である。結局、新しくて性能が高かったり、見た目がかわいらしかったりすることが、そのまま愛着を湧かせるきっかけとなるのではないのだ。決め手は、どれだけの時間を共に費やしてきたのかなのである。



 しかし、新しい物も良い。世界中では、数え切れないほどの人々がテレビゲームを楽しんでいる。そして、新しいゲームソフトや機器が販売される度、その人々は新しさに釘付けとなる。ここ最近、特に話題沸騰している、NintendoSwitch2も、その例として挙げられるだろう。人間は遥か昔から、改良を繰り返してきている。周囲がどんどん進化していくのならば、自らも進化していかなくては生きていけないと、新しく性能が高い物に魅力を感じるものなのだ。古代に日本が中国から様々な制度や技術を教わっていたというのも、その例である。そうして、私たち人間は、ここまで生きてきた。新しい物を求めるということは、とても合理的であり、その行動が社会を動かしているのである。



 古い物を守ることも、新しい物を追い求めることも、どちらも必要だ。しかし、最も大切なことは、時間は関係なしに、それぞれに愛情を持つことである。「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である」という言葉があるように、古いか新しいかということを用いて価値を見出そうとすることよりも、「大事にしよう」という心で物と接することが重要なのだ。そして、物の本当の価値は、その「大事にしよう」という心がなければ見出すことができない。私は、そんな価値を理解できる人間になりたいと思う。