学ぶ楽しさとは
中1 あかえか(akaeka)
2025年6月1日
学ぶ楽しさとは
あかえか
人間の生涯は物事を学び続ける旅である。母親の胎内ですでに学習は始まっているらしい。ある学者は、人間が素晴らしい学習能力を発揮するのは生まれて数年だと述べている。赤ん坊は本能によって言葉をしゃべるのではなく、学習して覚えていく。幼児期における言語の習得を出発点として生涯にわたり学習は続く。そうしていくには、エネルギーが必要だ。では、そのエネルギーとは何か。例えば、花を一つ知ったとする。その花を探す楽しみ、見つける喜びが生まれ、多くを知れば増大することになる。つまり、楽しみや喜びがエネルギーとなる。人生の様々な場面で、様々な状況の中でいつも勉強がある。従属感や感動の大半は、ものを学ぶことから生まれるのではないか。
勉強は、楽しく学ぶほうがよいと思う。
そう考える理由は第一に、学習はもともとは楽しいものだからだ。それは、「自分でできることが増える」ということだ。例えば、私は小学六年生の時は、母から
「朝ご飯炊いてね。」
と言われても、私は週に一、二回しかご飯を炊かないし、ご飯を炊く時の順番や火加減、鍋の扱い方などをほとんど知らなかったので、ご飯を炊くための工程を一つ一つ、一回一回、詳しく聞かなければならなかった。しかし、休みの日の母がまだ起きていない時間の時や、朝早くからの仕事のための準備で忙しい時などは聞いている暇はないので、自分なりに、「ノートにご飯の炊き方を書く」という工夫をしてみた。そのノートは、父が夜ご飯の準備をしてくれていた最中にいろいろと聞き出して書いた。そして、その一週間後くらいに、母に炊飯を任された。その時母は忙しそうにしていたので、あまり話さないほうがいいなと思い、早速そのノートを見ながら炊くことにした。時々わからないことは母に聞きながら炊いたが、ご飯が真っ黒こげになるようなこともなく無事に炊くことができた。その後、何回か任されることがあったため、いつの間にか勘でご飯を炊く順番を覚えていた。しかし、炊きあがったご飯は水気がなく、乾いていたのでもう少し柔らかく炊くことができるようになりたいと思って火加減を工夫すると、前よりもうまく炊きあがった。
勉強は楽しく学んだほうが良いと思う第二の理由は、楽しく学んだり、覚えたりすればその分結果が出てくるからだ。例えば、私は中学生になってから英語がわからなくなり、英語の授業を受けている最中に、
「英語って何語やねん。」
と思う第二のなることが多くあった。けれど、わからなかったからこそ英語の単元別のテストで高得点を取りたいと自分から思うようになり、その日からテストの日までの自主学習をすべて英語にした。その自主学習の方法は、まず教科書の見開き一ページの文章を読み、それからノートに写し取ってわからない単語や読み方を調べたり母に聞いたりするというものだ。そして、次の日に、昨日わからなかった単語の意味やつづりなどを復習し、次のページを同じように勉強していった。それをテストの日まで何日間か続けていると文章の意味が理解できるようになり、テストでは八十一点を取ることができた。そして、自分に合ったこの勉強方法で次のテストの範囲を勉強していたら、二回目には少し点数が上がり、九十点を取ることができたからだ。
確かに、勉強には自分以外の人から強制されてやらないといけないこともある。しかし、「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言があるように、自分が持った目標に向けて楽しく学んでいくことが一生学び、勉強する意味だと思う。