ヌンチャク
   小6 よしたか(yositaka)  2025年6月2日

ものごとを一所懸命にやることは本当に大切なことだ。「一心不乱」はすばらしいが「盲目的ないちず」が困る。自動車のハンドルにも、「遊び」があり、人生という車にも、この「余裕」「ひま」という遊びがないと危険である。大学入学後も何をしたいのかわからない学生を見ると、人間の心の勉強をするのに最も適している時期に、本来の好奇心の働く余地を失っていたと感じる。想像力は心に必要な遊びであり、想像は想像につながり、さらに深まれば「思いやり」となって、人間関係を創造する。

心の隙間に、楽しさをねじ込めばいいのではないか。

僕は宿題から毎日逃げ続けている。

4年生の時宿題に全く手を付けていなかったせいで「親電」(ホゴシャニ.レンラク)というラストカードを先生に使われてしまった無糖のコーヒーぐらい苦―い思い出がある。

5年生も少しは改善したがそれは冬休み徹夜で取り掛かったからでもある。

現在6年生、なんと僕はクラスの代表になってしまったので宿題をしないとクラスメイトのストライキが起きるかもしれないので毎日なんやかんや宿題をしているのだが、それでもやはり嫌なものは嫌だ。算数のドリルで「答えを見る」という邪な手を使いそうになったが、ギリギリ理性を保っていられた。喉から手が出るほど欲しいとはこのことだ。

でも僕は勉強の間にゲームを1試合しているので楽しさを保っていられる。これが僕の持続のヒケツだ。

でも僕は勉強の間にゲームを1試合しているので楽しさを保っていられる。これが僕の持続のヒケツだ。

最近、「スマホケースヌンチャク」なる商品が思わぬヒットをとばしたらしい。スマホがヌンチャクのように振り回せるという謎のアイテムで、落下防止か護身用か、目的はよくわからない。でも、こういう“ちょっとバカバカしいけど笑えるもの”こそが、心の「遊び」になるのかもしれない。真面目だけでは息が詰まる。くすっと笑える時間が、がんばるための余裕をつくってくれる。余裕って、こういうことなんじゃないだろうか。心の隙間に笑いをひとつ。それだけで、今日の宿題もちょっとはましになる気がする。たぶん僕が必要としているのは、答えじゃなくて、スマホケースヌンチャクみたいな、ほんの少しの無意味さ。笑える何かが、勉強よりも先に、心を育ててくれるのかもしれない。

だから僕は、これからも「一所懸命」に毎日をがんばっていこうと思う。ただし、がんばるだけじゃダメだとも思っている。いつもピシッと全力でいたら、心のどこかがすり減ってしまう。そうならないためにこそ、ちょっとした「遊び」や「笑い」は必要だ。

そして何より、僕はそういう日々の中で、もっと人の気持ちにも目を向けられるようになりたい。想像力をふくらませ、他の人の立場に立って考える「思いやり」こそが、これからの僕の大事なテーマになる気がする。「和気藹藹(わきあいあい)」な人間関係は、たぶん一人ひとりの小さな想像力から始まるのだ。