知識はちょうどいい程度で
中1 すりりんご(akimano)
2025年6月2日
われわれは、「知る」ということをとても大事なことにしている。しかし、「知識」をいつも頭の中に置いておくと、美術作品を見るときには知識にとらわれすぎて見るのが困難になってしまう。知識をえる必要はあるが、もともとの柔軟な感覚を失ってはならない。知識にとらわれずに物事をありのままに見ることは大切だ。
第一の理由は、先入観があると物事の真の姿が見えなくなるからだ。私の学年の社会の先生は、外見や話し方が怖い。髪型は短髪で中央に山ができている、声は恐ろしく大きい。まだ、入学して間もない日に、給食の準備中に注意されたこともある。しかし、社会の授業が始まると、先生へ抱いていた恐怖感が途端に消えた。しかも、五十分間あるはずの授業がまるで、夢の中にいるかのように短く感じてとても驚いた。外見や発言だけでその人の性格を見抜くことはいけないと思った。私は、小学校までは、歴史が得意だったが地理は苦手だった。このまま、中学に入っても地理は苦手なままなのだろうと思っていたが、この先生のおかげで地理が好きになれた。そして、苦手だった日本の島々の名前や時差問題も好きになった。わたしは、この先生に地理の面白さを教えてもらった。
第二の理由は、知識がありすぎると、自分自身で考えることが苦手になってしまうからだ。他にも中学校には怖い先生がいる。しかも、授業中も怖い先生だ。最近、保健を学習した。保健と言ってもスポーツのことを勉強した。まず、ワークシートが配られた。組、出席番号、名前を書いて問題に目をやると、「スポーツ」とは何かという問いが最初の問題だった。私は、この問題について一回も考えたことがない。多分、大半の人が考えたことがないのだろう。なぜならば、こういうことは、先生と一緒に考えるものだと思っていたからだ。先生は、自分で考えて他の人と意見を交わしなさいと言ったのだ。私は、ビックリした。小学校の時は、穴埋め式方式で、先生と一緒に考えたり、教科書を見て、穴埋めをしたりしていた。私は、中学校の保健は、道徳のようなものだろうと勝手に想像していた。ところが、「スポーツ」とは何なのかという問題を考えている間に、先生は、なぜ、ワークシートがこのような意味不明な問題なのかについて説明をしてくれた。それは、今の子どもたちは、スマホなどから得る知識が多すぎるからだ、という理由であった。確かに、私もインターネットで知識を得ることが多い。勉強でも分からない漢字が出てきたら、すぐにインターネットで読み方を調べてしまう。母からは、辞書を使いなさい、といわれるがつい答えがすぐわかる方をとってしまう。私は、この保健の授業で、スポーツだけでなく身近なものにも自分の感覚で考えることの大切さを学んだ。
確かに、知識があった方が効率よく物事を見ることができるかもしれない。しかし、百聞は一見にしかずという名言があるように、知識だけではなく、人間にもともと備わっている柔軟な感覚を使って物事を考えるときに活用してみてはどうだろうか。最近は、旅行に行くときは事前にパンフレットやその旅行地が書かれてある本で、ある程度の知識を持って旅行へ行く人が多い。書店にも、旅行関係の本が多数並んでいる。私は、そのくらいの知識を身に付けることは良いと思うが、身に付ける知識が多すぎると、その場所へ行ってみる価値や面白さがなくなってしまう。だから、知識にとらわれずに物事をありのままに見ることは大切だ。