知識ニモマケズ
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年月日
我々は、「知る」ことをとても大事なことだと考えている。しかし、物事を判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある。実際に物を見たり接したりするときには、これまでの知識を一旦横へ置き、そして裸の心で自然にまた無心にその者と接し、そこから受けた直感を大事にして、その後で改めて、知識を再び引き戻し、自分の考えと照らし合わせるのが理想的だ。知識にがんじがらめにされてしまったら自由で柔軟な感覚を失ってしまうだろう。自分の感性を信じつつ、一般的な知識や、他人の声に耳を傾ける余裕とのバランスを取ることが大切なのだ。知識にとらわれず、物事をありのままに見ることは大事だと思う。
なぜなら、先入観に囚われてしまうと、物事の真の姿が見えなくなってしまうからだ。例えば、噂が耳に入ってしまうと、本当のことを自分で見つけようとしなくなってしまう。私は、中学校に入ってから二週間ほど経ち、高校2年生の方々に学校案内をしてもらった。すると、その中の一人が、「数学αの先生は怖い」といい、その次の日にあった数学αの授業が怖くてたまらなかった。しかし、実際に授業を受けてみると、優しく、授業も面白い先生で、安心した。やはり、言葉や噂にとらわれず、自分の考えを持つことは大事だと思う。
また、第二の理由として自分の目で物事を見た方が自分が成長する。英語の授業である本をもとに読書感想文を書くという課題が出たとき、Googleであらすじなどを調べて、それを映す人もいた。しかし、ちゃんとじっくり本を読み、自分の考えを取り入れて感想を書く人もいた。結果として、前者より後者の方がテストの点数が良かった。音楽でも文学でも美術でも、やっぱり自分でちゃんと考えなければ、自分自身の想像力も考えも発達しない。
確かに、知識があった方が、効率よく物事を見られる。しかし、「努力しなければ進歩はしない」とフレデリック・ダグラスが言ったように、知識を使い、簡単な道を選ぶのではなく、たとえ時間や労力がかかっても、知識に縛られず、物事をありのままに見て、自分自身の考えを見つけ出すことは大切だと思う。