一生懸命とは
小6 みさ(misa)
2025年6月2日
人は何かに一生懸命に取り組むことで成長し、達成感を得ることができる。しかし、その努力が盲目的な一途さに変わると、視野が狭まり、柔軟な思考が失われる危険性があるという、この「一途さ」と「遊び心」のバランスは、車のハンドルにおける「遊び」に例えることができる。ハンドルに遊びがないと、わずかなブレにも敏感に反応し、運転が困難になってしまう。同様に、人間の心にも「遊び心」が必要であり、それがあることで柔軟な思考と適応力が生まれる。また、「遊び心」は想像力とも深く関連している。想像力が豊かな人は、他者の立場に立って考えることができ、共感力が高まる。このような人は、単なる努力家ではなく、深い洞察力を持った人間へと成長していく。したがって、一生懸命に取り組むことは重要だが、それと同じくらい「遊び心」や「想像力」を育むことが、真の成長へとつながるのだ。
特に現代のように成果主義が強調される社会においては、「遊び=怠惰」という誤解がしばしば見受けられる。しかし実際には、遊びの中にこそ、人間の想像力や創造性が宿る。遊び心を持つ人は、目的だけに縛られることなく、多角的な視点で物事を眺めることができる。たとえば、理科の実験にしても、ただ正解を追い求めるのではなく、「どうしてこうなるんだろう」と疑問を持ち、自由に仮説を立ててみる。そのような自由な思考の中から、思いがけない発見や応用のアイデアが生まれる。また、遊び心は想像力と深く結びついている。想像力とは、自分の目の前にないものを思い描く力であり、それは他者の立場に立って物事を考える力にも通じる。想像力が豊かな人は、相手の背景や感情を想像し、深い共感を持つことができる。そうした人間的な成熟こそが、真の意味での知性や教養につながるのではないだろうか。
私たちはしばしば、「真面目に努力すること」こそが正しいと教えられる。確かに、地道な努力なくして成果は得られない。しかし、その努力が「成果」だけに向けられ、プロセスを味わう心の余裕を失ってしまっては本末転倒だ。努力を長く持続させるには、むしろそこに遊び心や想像力という潤滑油が必要なのだ。たとえば、長距離走を考えてみよう。ゴールを目指して全速力で走り続けるのではなく、ペースを調整し、周囲の景色を感じながら走ることで、走ること自体が楽しみに変わる。すると自然に集中力も続き、心身の疲労も軽減される。同じように、何かに打ち込むときにも「あそび」の感覚を取り入れることが、自分を長く支える基盤となるのである。
一生懸命であることは確かに美徳だ。しかし、それは「目を覚ましたまま」取り組むからこそ価値がある。自らを見失わないためにこそ、遊び心を忘れてはならない。努力と遊び、集中と余白。その両者の調和の中に、人間としての真の成長と豊かさがあるのではないだろうか。