世界のフィクション
   中2 すみひな(sumihina)  2025年6月1日

フィクションは人間に大きな影響を与える。「事実により近づくために創作している」と語る作家もいるほどに、フィクションには事実以上のことを描く力がある。一方、ノンフィクションは「創らない」という制約を守ることで、事実の断片を提示し、現実を直視する意識を読者に促している。つまり、フィクションは想像力を使うことで真実に迫ろうとするが、ノンフィクションは「在る」ことそのものの重みを読者に伝えているのだ。どちらも「真実」へ近づこうとする手段ではあるが、そこに至る道筋が異なっている。フィクションとノンフィクション、これらは異なるアプローチから人間の本質に迫る手段であり、私たちが何を信じるかを考えさせてくれる。



私は、事実をありのままに伝えることが大切だと思う。創作を加えず、見たまま聞いたままを伝えようとする姿勢が、社会を支える大切な要素だと思うからだ。先日聞いた、私が応援している政治家に関するニュースでは、証拠や発言が提示されていないのに、適切ではなかった発言に尾ひれをつけて報道していた。あくまで「何があったか」を明らかにしようとする努力が国民の正しい選択にもつながると思う。もしこの報道が脚色されていたものであれば、真実の重さが軽くなってしまうだろう。ノンフィクションは「事実」という枠を守るからこそ、人々は信頼し、そこに示された「断片」をつなぎ合わせ、自らの中に一つの真実を構築することができるのである。



しかし、伝えたいことの本質を浮かび上がらせるために、あえて脚色を施すという方法もある。例えば、国連が発信する気候変動に関するポスターには、地球が燃えるように描かれるなど、極端な自然災害の様子が強調されることがある。そこには事実だけでなく、作り手の視点が反映されている。その結果、見る人は政治に対して興味や疑問を持つことができた。「真実」に近づけるために、多少の脚色が必要となる場合があるのだ。これは事実を捻じ曲げるのとは異なり、むしろ伝えるべき本質を理解させるための技法といえる。重要なのは、見る人に何を感じ取ってもらいたいのかという意図があるかどうかなのだ。



 ノンフィクションが客観的で冷静な事実を提示することで信頼を得る一方で、フィクションは想像力と創造力で人の心を動かす。しかし、一番大切なのは「伝える相手の心に何が残るか」という視点である。どちらが正しいということではなく、どちらも真実に近づくための手段として尊重されるべきだ。「伝えることは責任であり、受け取ることは選択である。」という名言もあるように、現代社会において、私たちが「どのように伝え、どのように受け取るか」を考えなければならない。ノンフィクションには限界がある。しかし、その限界を受け入れながら、断片を丁寧につなぎ合わせ、そこにある人間の姿や社会の構造を読み取っていくことが、私たちに求められているのではないだろうかと私は思う。