ナツメ コオロギはリーリーと(感)
   小5 あこふゆ(akohuyu)  2025年6月3日

 まずこの長文は、コオロギは「リーリー」と鳴くというけれど、そう聞こえるのは人間の耳に聞こえてくるだけで、コオロギにはどう聞こえているのだろう、それを小学生のころと考えたことがある。人間とコオロギの「耳」の構造はまるでちがったものなのでコオロギがおなじような音を聞いている保証はない。そう考えれば、同じ人間でも同じ耳ではないから、個人個人で、ちがった音を聞いているので、ヨーロッパの人には、美しいコオロギの鳴き声も雑音と聞こえないという話も聞いたことがある。聴覚のしくみがヨーロッパ人はちがうのである。ラジオでアオマツムシがほかの虫の声が聞こえないくらいうるさく鳴いている。アオマツムシは中国から渡ってきた帰化昆虫で、声がうるさすぎというような話をしていた。私は、どうしてその虫が横浜にはいないのだろうと思った。しかし、ほどぼんやりと庭に出て夕涼みをしていると、大きな声の虫が鳴いているのに気が付いた。この声はめずらしいものではなく、秋の初めに聞いてきた声れ、私はコオロギだと思ってきたのですが、これがアオマツムシかもしれないぞと思った。確かめたくなって、木の葉の上を探した。一時間ほどの探索の末、緑色の虫が大声で鳴いているのを発見した。今まで声の大きなコオロギだなとしか考えず、秋を感じる虫の声と楽しく聞いていた声がうるさく感じられるようになってしまった。私たちは、体験を通じ、知識を身に着けてゆくと考えている。コオロギの声を聞いて虫の形や色について知るというように。けれど、自分自身の直接的な体験を通して得られる知識は案外少ない。むしろ他人から知識を与えられることによって、幅の広いものにしていくといった方がよいでしょう。知っているものしか見えないし、聞こえないのだ。例えば落ちたステーキを皿にのせて出されても、知らなければ食べてしまう。それは、「知らぬが仏」というわけだ。感じ方を変えてしまうものは、習慣もその一つだ。虫の声を楽しむという日本人の習慣が、日本人の耳を少しずつ変化させたのだとも言えるだろう。という長文だ。それはまるで十人十色のようでもあり、コオロギがアオマツムシの声に驚き、こぉろんだのようです。



 そのようなことは自分にもある。側転の練習をしているときに自分が進みたい方向とは九十度ほど違う向きを向き、側転をやっていた。しかし体操教室に入り、側転をしていると、



「進む方向を向いて。」



と言われ、びっくりした。



 おばあちゃんに聞いた話は、小学生の時にだれもが嫌がるトイレ掃除を自分から進んでやっていたら、先生に褒められたそうだ。おばあちゃんは、ただ普通の小学生で一度も褒められたことが無く、これで初めて褒められたのでとてもうれしかったそうだ。



父は誰もが嫌うシャモが大好きだ。それを聞いて、おばあちゃんはだれもが嫌がるトイレ掃除を進んでやということはとてもすごいな。それにしても、父はなぜシシャモが好きなのか。と思った。



 好みや、思うこと、音の聞こえ方などはみんなそれぞれ違い、世界は十人十色だということが分った。