科学技術は地域や民族の(感)
高1 あおにま(aonima)
2025年6月2日
科学技術は地域や民族の差異を越え、それゆえにヨーロッパに生まれたという出自の制約を抜け出て、全地球に広がった。ヨーロッパにおいては、科学技術の硬い普遍性と文化の柔らかい普遍性とは根本的には対立することなく、いわば同心円をなしたのである。それは科学技術が自らの精神の自発自展だったということと同じである。もちろん科学技術によって可能となった牧歌的「文明」が、「文化」の精神性を脅かすという危機意識は、いろいろな思想家において表明された。しかし、それは、ヨーロッパ精神の内部での危機意識にとどまっていたのである。それはどこまでも「自己」批判であり、その自己のうちに非ヨーロッパ世界という「他者」を含むことはなかった。併存しつつ、同一のエポックを形成したのである。その多中心的な複合構造が、自己同一性を基本とするヨーロッパ近代と日本近代の構造上の違いだともいえる。外国の技術・文化を取り入れるときは、自国の文化に合わせて消化していくべきである。そのために考えられる方法は二つある。
第一の方法として、上っ面だけの模倣をしないことだ。日本人は昔から外国、特に欧米の方から入ってきた習慣やものに憧れてきた。そのものなどに憧れて実際に使ってみようとするが、日本人に合わないものが大半なので元々の生活に戻ってしまうことが多い。なぜなら、それは上っ面だけしか模倣をしていないから。外見だけ使いこなしているように見えても、中までは使いこなしていない。例えば昔有名だった風刺画では、日本人が西洋から取り入れたスーツやドレスを着て大きな鏡の前で踊っているが、写っているのは猿の顔だった。これは多分ビゴーは、日本人が西洋の文化を取り入れて十分なお金があるが、中身はまだ昔のままということを表していると思う。
第二の方法としては、日本の文化の良さを再発見することだ。確かに明治の開国から日本は進んだ西欧の文明を吸収することで発展してきた。しかし、経済がある程度豊かになった今、人々は生活の質、都市や地域の環境、自らのアイデンティティと創造性といったものを重視するようになってきた。また、最近外国へ行くことがより便利、簡単になった。日本人は外国での文化や景色がとても珍しくて、日本の文化より外国の文化の方が素晴らしいと考える人が多く出てきた。しかし、それは外国の文化に触れる機会が少なく、珍しいからだ。僕の経験上、外国に住み始めた頃は外国の方が日本よりも優れていると感じていたが、ある程度期間が経つと、日本の文化の良さを感じることができる。
確かに、進んだもの・良いものを取り入れる柔軟性は大切である。しかし、私たちはもっと日本の文化を理解して、その土台の上に外国のものを取り入れるべきである。