自己中心的
小5 あえひの(aehino)
2025年6月2日
日本では、駅前広場には毎朝夥しい数の自転車が乗り捨てられていくが、たいていはサイクリング用で、あの黒くて荷台のついたやぼったいやつなど一台も見かけない。それに対しインドでは、靴でも自転車でもタクシーでも、インドでは実際徹底的に修理して再生して、とことんまで使い切るらしかった。これは一言で言えば、日本が大量生産大量消費の工業国であり、インドが生産性に乏しい貧しい国だということなのだろうが、私は、両方を見比べてなんだか釈然としないのである。なぜなら、インドの人たちはぎりぎりまで頑張って使っていて、日本の人たちは贅沢をして飽きたら捨てる。そんな社会はおかしいからです。皆さんは許せますか。僕は許せません。だってインドの人は凄く頑張って何回も何回もリサイクルをして頑張っているのに日本の人だけがこんなに贅沢をしていいはずがないと日本に生まれた僕でも思います。インドでは、調べたところ、まだあまり文化が発展していないのか、店頭で肉を売るが、冷房設備のような物はないらしい。それに比べて日本は冷房設備がないと衛生状況が不安だとか言っていて、インドの人に比べるととてもわがままで、自己中心的だと感じた。
でも僕は新しい物を欲しいと思ってしまう。例えば今は最新のスイッチが欲しい。何故なら今は古いスイッチを持っていて、最新のゲーム機が出たから買いたくなるのだ。このように僕はインドの人のように欲望を制御することはできない。何故なら今僕の持っている物はまだ使えるし、逆に結構きれいだ。だが、七年は使ったので、買ったという義務は果たせたと思う。このように僕は捨てるのなら使い古してからのほうがいいと思う。何故なら買って一年もしないのに新しいものが出て買うというのはあまりにもその古いものに対しての敬意がないからだ。だから僕は物を買うときは、前のものを使い古してからかうようにしている。リュックも五歳の時からずっと同じ物を使っているし、物持ちが良いと母から言われている。
母が子供の頃は、ずっと新しくて今持っている物よりもかわいい筆箱が欲しかったらしい。なにかを買いに行く時に見る度にかわいくてついつい衝動買いしてしまうからだそうだ。だから結果としてまだ使えるのに捨ててしまうということがあったらしい。父が子供の頃は、シャーペンは持っていたけどドクター・グリップというシャーペンが欲しかったらしい。ドクター・グリップは、振っても勝手に芯が出ない機能的なシャーペンだ。その代償として母と同じく使えるのに捨ててしまうということがあったそうだ。
母と父に話を聞いたり、自分で考えたりして思ったのは、やっぱり物を最後まで使い切るということは大事だし、それ以前にどんどん目移りしないで今あるものを使って遊んで遊べなくなったら買う。ということを日本の人は徹底した方がいいと思った。