何ごとにも余裕を
   中1 ジュンノスケ(akasiyu)  2025年6月2日

 物事に一所懸命に取り組むには「遊び」が必要だ。「遊び」とは単なる娯楽ではなく、好きなことに夢中になったり、機械の「遊び」のように心に余裕や、ゆとりを持つことを指す。この余裕があることで、人は自然に好奇心を持ち、学ぶ意欲が湧いてきます。本来の教育とはこのような子供たち一人一人の「個性」を引き出すのが本当の教育のはずだ。しかし、人間の心の勉強をするのに最も適している時期に、知識を頭の中に詰め込ませた結果、新しい発見の想像力も、遊びの好奇心も、自由に働く想像力もなくなって、みんな学歴主義に塗り替えられてしまったのだ。「遊び」が戻れば、再び想像力が働き、やがては創造や他者への思いやりにつながるはずだ。

僕もこの文章には共感した。なぜなら、余裕がないと人間は、イライラしたり、ストレスがたまるからだ。

僕は、中学受験を経験したことがある。

受験本番が近い一月になると、直前の詰込みになっていき、自分もみんなも余裕がなくなってくる。すると、イライラしたり反抗的になったりしたことがある。本番は落ち着いて取り組めたのでよかったのだが、余裕があった方が人間は絶対らくになる。そんな気がする。

中学受験でもそうだが、勉強も、ずっとしていると集中力が切れて、効率が悪くなる。そのため、休憩をして、リフレッシュして、また勉強に挑むのだ。この時も休憩できる心の余裕が必要になってくる。僕も、勉強の合間に休憩をして効率を高めようと思っているが、よくあるのが休憩のし過ぎである。勉強の合間の休憩のはずがいつしか時間が経って勉強を終わりにしてしまうことがある。あなたも経験あるのではないでしょうかそんなときのためにタイマーを用いるのはどうだろうか。勉強の時に「あと○○分で休憩に入れる」とモチベーションを高められるうえに、休憩時の休憩しすぎを防止できる。まさに最強の作戦である。しかし、僕は、その作戦を実践したことはない。これから活用しようと思う。

さて、人間にとって余裕とはなんだろうか。それは、理性を保つ栄養分だと僕は思う。なぜなら、先述のようにイライラしたりしていてはできることは何もない。何事にも落ち着いて 生活するためには余裕が必要なのだ。このようなことから、人間にとって余裕とは、理性を保つ栄養分だと僕は思う。しかし、ぼくはこの文章を書くのに疲れてイライラしてきそうな気がするのでこのへんで終わるとしよう。