理屈と直感
中2 あえさし(aesasi)
2025年6月3日
科学における発想と論理」という話になると、いつも昔やったハバチの研究のことを思い出す。この研究では、ふと思いついた発想には一言も触れず、データに基づいた「論理的」推理を展開する形をとることによって、この研究も私自身も、「科学的」な対面を持つことになった。今大切なのは、科学も技術も普通思われているのとは異なって人間的なことだと、深刻に意識することである。
論理的な思考は素晴らしいと考える。なぜなら、人の印象や出来事に対して先入観だけで判断すると、事実を見誤ってしまうことがあるからだ。私がバイオリンを続けていく中で、あるオーケストラの先生について「とても怖い」「プレッシャーを与えてくる」といううわさを聞いたことがあった。初めてその先生に会う前、私は緊張して、どんなに厳しいことを言われるのかと心配していた。しかし、実際に見てみると、その先生の行動はうわさとはまるで違っていた。 たとえば、コンマス(コンサートマスター)が本番前のプレッシャーに押しつぶされそうになっていたとき、先生はあえて冗談を言って場の空気を和ませたり、笑顔で応援したりしていた。また、生徒がリハーサルに遅れてきても、怒鳴ったりせず、むしろ「大丈夫、急がなくていいよ」とやさしく声をかけていた。私はその姿を見て、最初に聞いた話との違いに驚いたと同時に、理屈で物事を見直す大切さを実感した。うわさや感情ではなく、「実際に見た行動」や「冷静な観察」に基づいて考えることこそが、理屈を大切にするということだ。理屈を持って物事を見ることで、本当の姿や事実に近づくことができると、私はこの経験から学んだ。
その一方で、理屈に縛られない自由な直感も大切だ。科学の世界には、緻密な計算や実験だけでなく、「直感」や「日常の発見」が重要な役割を果たすことがある。アメリカの物理学者リチャード・ファインマンは、その代表的な人物だ。彼はノーベル物理学賞を受賞したほどの理論物理学者だが、形式的な学びだけではなく、身の回りの現象に対する鋭い観察力と直感的なひらめきを大切にしていた。あるとき彼は、カフェテリアで回転する皿を見ているうちに、量子電磁力学の改良につながるアイデアを思いついたという。また、子どものような好奇心を持ち続け、金庫破りやドラム演奏、アリの行動観察など、日常のあらゆることを楽しみながら探求していた。私たちは科学と聞くと難しい公式や専門用語を思い浮かべがちだが、実は身近なところにこそ発見の種があるのかもしれない。ファインマンの生き方は、疑問を形にしようとする生き方だ。彼のように、目の前の現象に目を向け、直感を信じて考え続けることが、新しい発見や創造につながるのだと私は感じた。
たしかに、直感に基づいた考え方も論理的な思考も大切だ。しかし一番大切なのは、「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる。」というコナン・ドイルの名言のように、それが本当のことなのかという「事実」である。