コオロギはリーリーと(感)
小5 みらい(akeino)
2025年6月3日
コオロギの声は、日本人には美しくヨーロッパ人には、雑音にしか聞こえない。私たちは、実際の体験を通していろいろな知識を身につけてゆく。けれども、自分自身の直接的な体験を通して得られる知識は案外少ない。むしろ、他人から得られる知識を与えられることによって、自分の体験を幅の広いものにしていく。現実の見え方や、それに対する感じ方をかえてしまうものは、知識と習慣だ。日本人の習慣が、日本人の耳を少しずつ変化させてきた。
僕は、人によっては、印象が違うことを知っている。僕は、ロブロックスというゲームでそのことを知った。ロブロックスというゲームは、知らない人が作った様々なゲームが楽しめるソフトだ。僕は、島を作ろうというゲームがどんな島になるのかドキドキして楽しかったが、友達は庭を成長させるのほうが好きと言っていた。それに庭を成長させるというゲームは、278万人もやっていた。僕が好きなゲームはたったの2万人しかやっていなくて少し悲しくなった。もう一つはYouTubeの好きなものだ。友達が見ている好きなYouTubeはヒカキン人気があるので、僕が好きなYouTubeは、楽しい印象まいぜんシスターズだ。そのことから人によっては印象で好き嫌いが決まると知った。こういう時に人と自分の違いが分かった。まるで、になるようになってみたい。
母が人と違うと思ったことは、心配性なことだ。例えば海に行くとき母は、心肺蘇生のやり方を復習しているところ。心配性だと思う。それ以外に防災対策のことや電車の中でのことだ。電車で気にしていることは、出口の確認だ。なぜかというと、変な人がいた時に逃げれるためだ。いつも僕は、母は心配性と思ってしまう。しかしそれは、言うからなのか。母に尋ねると助産師になってから強くなったそうだ。患者さんが急変をしたときにどう対応するか、いろいろなパターンを考える限り考えつくし行動できるようになる。常に最悪の事態を想像し、そうならないように力を尽くしもしなるかもしれないと忘れずにしようとしている。そんな習慣が母を動ける心配性にした。だが時には、役立つと思う。
僕は、人それぞれ感じ方が違うのだと感じた。ぼくはこれからいろいろな考え方をする人を大切にしたほうがいいと分かった