知識や固定観念との付き合い方
   中1 あかえか(akaeka)  2025年6月4日

 知識や固定観念との付き合い方



あかえか



 見テ 知リソ

知リテ ナ見ソ

実際にモノを見たり接したりするときは知識を横へ置き、裸の心で自然に無心に接しそこから受けた直感を大切にし、そのあと横に置いた知識を引き戻して照らし合わせることができれば素晴らしいことだ。なら、我々は知る必要がなさそうだがこれも違う。柳宗悦が戒めているのは知識にがんじがらめにされ、自由で柔軟な感覚を失うなということだろう。自分の感性を信じつつ一般的な知識などに耳を傾ける余裕、このバランスの上に感受性は成り立たねばならない。それは難しいことだが、少なくとも柳宗悦の言葉は「知」の危険性を教えてくれている。



 知識ににとらわれずに物事の実際の姿を見つめるのは大切だ。



 そう思う第一の理由は、先入観があると物事の本当の姿が見えなくなってしまうからだ。私のクラスの担任をしている先生は、よく中国やアメリカ、エジプトなどの外国に旅行に行っていたそうだ。だから、その日もインターネットや本で写真を見たり、情報を集めたりしていたそうだ。そこで、とてもきれいな、自然が広がっていいる写真を見つけたので、見てみたいと思い、実際に行ってみたそうだ。しかし、その写真のようなとても鮮やかな緑色の自然は広がっていなくて、少し似ているというだけの光景だったので、すごくがっかりしたそうだ。



 知識にとらわれずに物事の本当の姿を見つめるのが大切だと思う第二の理由は、知識があると、物事を「知識だけ」で判断してしまうかもしれないからだ。私の家には、私が小学一年生から小学六年生まで六年間使い続けてきた水筒がある。だから、当然、古くなっていると思う。そして、母にも

「もうその水筒中の金属が剝げてきてるかもしれないから、それを飲まんようにするために、もう変えや。」

と言われた。しかし、私にとっては長い間使い続けてきた水筒なので、なんとなく捨てたくなかった。だから、母に頼んでお湯を入れるポットとして使ってもらうことにした。

 

 もし、その出納を捨てるかどうかを「知識だけ」で判断してしまったら、その思い出がたくさんくっついているものを捨ててしまうことになったと思う。



 確かに、知識を使って物事を判断すれば、効率的に判断することができると思う。しかし、「経験は最良の教師である」という名言があるように、いくら知識があったとしても実際の経験がなければ、その答えは、意味のないものになると思う。