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   中3 あえとく(aetoku)  2025年6月1日

 湾岸戦争では、テレビで戦争が「見える」と錯覚しがちだが、実際には見えているのは一部に過ぎず、見えない部分との対比が顕著になった。映像や情報が大量に流れる明るい部分がある一方で、映像が流れず秘匿される暗い部分が存在する。情報が大量に流れることで、逆に真実の情報が覆い隠されることがあり、現代の情報戦では、情報を流すことで操作が行われる。テレビは映像情報に深く関わり、光の当たる部分のみを伝えがちで、映像化しにくい重要な情報を見落としやすい。リアルな映像であっても、それが真実の一部に過ぎないことを忘れてはならない。人々はリアルタイムの映像に納得しやすく、情報操作への抵抗も弱くなる。米軍のソマリア上陸では、メディアの露出を歓迎するような面もあり、戦争が宣伝重視になってきている。戦争に限らず、政治や文化など様々な分野でテレビへの露出を求める時代となり、テレビの役割と影響がますます大きくなっている。目に見えるものをそのまま信じてしまうのではなく、その裏側にあるかもしれない真実を見極められる人間になりたい。

そのための方法としては第一に、目に見えるものをそのまま受け入れるのではなく、まずは疑ってみることだ。たとえば、ニュース番組やSNSで流れてくる映像や写真は、時に編集され、視聴者の感情を操作するように作られていることがある。過去に、ある国のデモの映像が暴力的に見えるように切り取られて報道されたが、実際にはその場の一部に過ぎず、全体としては平和的な抗議だったというケースもあった。目に見える情報が必ずしも真実をすべて語っているわけではないことを意識することが重要である。僕はこの間見たものをそのまま信じてしまって騙されてしまった。それはたいして大きいことではなかったがいつか大きいことに引っ掛かるかもしれないので気をつけたい。

また、第二の方法としては、まず自分の考えを持つことである。世の中にはさまざまな意見があふれているが、それらにただ流されるのではなく、自分自身で情報を咀嚼し、価値判断を下すことが求められる。たとえば、ある映像作品が「感動的だ」と話題になったとしても、自分がそれをどう感じたか、なぜそう感じたのかを言語化することが、自分の考えを育てることにつながる。

確かに、映像による情報はわかりやすく、効果的に情報を伝えることができる。しかし、『花はだれが見ていなくても咲いている。』という名言があるように、私たちは表面上の演出や視覚的なインパクトに惑わされず、その裏にある本質や真実に目を向ける姿勢を持ち続けなければならない。たとえば、あるボランティア活動の様子を紹介する映像が感動的だったとしても、それが一時的な宣伝にすぎないのか、それとも継続的な支援の一環なのかは、映像だけでは判断できない。そうした見えない部分にこそ、本当の価値があるのではないだろうか。

私は、たとえ多くの人が注目していないとしても、自分の目と考えで真実を見極められる人間でありたいと願っている。