向上心を持つ
   高1 ヨーヨ(waoho)  2025年6月3日

 現在、何もしないでいる状態を「何もしないことで維持するのは難しく、その状態は芝居の暗転や幕間に似ている。つまり、流れる時間と、積み重なる時間の双方を交互に体験する事も大切である。この何もしないための手続きの大切さを、趣味などの流行りが象徴しているのだ。私たちは、意識した時間の中で、休息を見出すべきだ。

 そのための方法として第一に、探求できる趣味を持つことだ。まず、趣味というものは自発的に息抜きとしてやったりするあまり意味のないものという考えの人が多いのではないか。しかし、その趣味に真剣に打ち込んだり、意識的にやることでいろいろなことに生かすことのできる武器になるのではないか。なぜなら、自分の好きなこと、楽しんんで打ち込むことができる趣味に対して本気で打ち込んだ経験というのは自分の自信になったり継続力という糧になるからである。そのため、一度皆に自分の趣味としてやっていることを意識せずに適当にやっていないか、まずまず自分にとって本当に好きなことなのかというのを見直してみてほしい。もし、ただ暇つぶしになるといった無意味なことなら好きになるポイントを見つけて好きになったり、もっと向上心を持ってできる趣味を見つけるべきだと思う。僕も、普段プロ野球スピリッツAというゲームをしているのだが、はっきり言って暇つぶしで選手の育成が大半を占めることから、かなり苦痛である。でも、その育成した選手でリアルタイム対戦でホームランを打てたという快感と喜びがたまらないのだ。この楽しさのために向上心を持って地道な育成という作業をやっていれば、決してそれは苦痛でやめたくなるストレスにはならないのだ。逆にそんな苦労があるからこそ生まれる達成感や喜びがあるのではないか。そんな遊びでやっていることは普段の勉強や目標のために通らなければいけない道と同じなのである。すなわち、ほかの人からしたら無駄なことでも、そのことに全力で取り組み楽しむことが普段のやらなければならない課題にいかすことができるのである。

 第二に、拘束時間を評価するのではなく、成し得たことを評価する社会を作ることだ。よく、忍耐力をつけさせるといって古いやり方でやり続けている人がいるが、あまり良いやり方ではない気がする。なぜなら、長く働いているからといって必ずしも高い成果が得られるとは限らないからである。むしろ、効率的に短時間で成果を上げる人こそ、本来は高く評価されるべきだ。たとえば、同じプロジェクトを3時間で仕上げる人と、10時間かけて仕上げる人がいた場合、これまでの社会では後者の「頑張り」が評価されがちだった。しかし、これからの時代には、時間の長さよりも中身の濃さに着目する必要がある。また、成果を重視する評価制度は、多様な働き方を可能にする。特に子育てや介護などの事情を抱える人にとって、拘束時間の長さがネックになることが多い。だが、成果さえ出せば評価されるという仕組みなら、限られた時間の中でも意欲を持って働くことができる。その結果、能力ある人材が活躍しやすい社会にもつながるだろう。もちろん、時間だけでなく、過程や努力を全く無視してよいというわけではない。しかしながら、「何を成し遂げたか」という観点を中心に据えることが、より生産的で公正な社会の実現に近づくと私は考える。したがって、拘束時間に頼る昔の価値観から脱却し、成果主義を柔軟に取り入れる社会を目指すべきである。今ではフレックスタイムやリモートなどリラックスした状態や適度に休憩を取りやすい仕組みによって同じ仕事量でも負担を減らせるようになってきている。これは、学生においても同じである。たとえば、毎日何時間も机に向かっている生徒が必ずしも優秀とは限らない。むしろ、短い時間でも集中して学び、結果として高い理解度や成果を出す生徒の方が、真に効率的な学習をしているといえる。さらに、現代の学生は学業だけでなく、部活動や趣味、バイト、家の手伝いなど、多くの役割を抱えている。そのため、「何時間勉強したか」よりも、「どれだけの成果を上げたか」という視点で評価されるべきだ。たとえば、2時間の勉強でテストの内容をしっかり理解した生徒と、6時間かけても要点がつかめていない生徒とでは、前者の方が評価されるのが自然である。このように、学生にとっても「拘束時間」ではなく「成果」で評価される社会は、公平かつ意欲を引き出すものである。だからこそ、私たちは時間の長さに価値を置くのではなく、成し遂げたことを正しく認める仕組みをつくっていくべきなのである。

 確かに、何もしないというリラックスの仕方も有効である。「静けさだけが、心を癒すとは限らない。騒がしさの中に、ふと救われることもある。」というように、私たちは、自分の意識的な休息を持ち、精神的な面でストレスのない環境を作っていくべきだ。