インドではほうぼうの町角でを読んで
小5 あかたよ(akatayo)
2025年6月2日
インドではほうぼうの町角へを読んで
インドを一か月旅行している間中、人間は一体生きるために本当に何を必要とするかを考えさせられた。日本が大量生大量消費の工業国であるのに対し、インドは生産性に乏しい貧しい国である。限りある地球上の資源を、一方は富に任せて不必要に浪費し、一方はどんなものでもとことん使い切ろうとする。それ以外にも、子供たちの教育や心の問題をみてみると、現在の日本のような経済力にまかせた浪費習慣は良い影響を与えるとは考えにくい。快適な生活の追及はしばしばぜい沢と域を接し、人間に本来の生の姿をわすれさせるものである。
ぼくはこの話を読んで心に残ったことは、生まれる国によって生活や大切にするものが全く違うといういうことだ。日本に生まれ育った僕には、自転車を徹底的に修理再生して、とことん使い切っている、インドの生活が信じられないと思った。どうしてかというと、ぼくは2年に一度、新品の自転車を買い替えているからだ。経済の為には良いのかもしれないが、限りある地球上の資源やごみ問題を考えると、直ぐに新しく買い替えることは、地球に対して決して良い影響とは思えないと気付いた。しかし、そんな僕にも、インドの取り組みに似た話がある。それはゴミ問題を考えて、詰め替え式のボールペンを使っていることだ。芯の詰め替えをしながら、かれこれ3年も大事に使っている。3年も大事に使っていると、愛着がわいてきて、もっと大切に使おうと思う。もし使い捨てボールペンを使っていたら、物を大切にしようという気持ちにはならないし、年間24本のゴミを出していたことになる。3年では72本のゴミを出していると計算すると、ぼくは心の中でゾッとした。ボールペンを詰め替え式で使うということは、正にインドのように、地球環境に優しい取り組みだと思った。
お母さんにも似た話があるか聞いてみた。お母さんは今、僕の塾探しや中学受験を考えてる最中で、「東京で子育てしていると、情報が多いから、子供の教育に熱心になりすぎて、子供の本来の姿を忘れそうになる。」と話してくれた。田舎育ちのお母さんは、便利な東京で生活していると、何が大切なのかを忘れがちになるそうで、そんな時は、田舎に帰省したり、昔ながらの友達と話すそうだ。緑豊かな畑や、田んぼだらけの田舎の空気に触れて、年老いた両親と話したり、旧友と話したりすると、子供の心や成長に本当に必要な物を考え直すことができるそうだ。ぼくは、お母さんが環境を変えることで、何かの答え合わせをしているようだと思った。
この話を読んで、たくさんの物や新しいものに囲まれても、決して心の豊かさではないことがわかった。本当に必要か不必要かの関係性をよく考えて向き合っていくことが大切だと思った。一人一人がそういった意識を持つことで、家族や学校、さらには地球全体が住みやすい環境に変るからだ。人間が人間本来の生の姿を思い出すことができればは、人間は人間らしく、地球は地球らしく戻ることができるかもしれない。そうなれば、全ての生物が幸せになれるだろうと思いながら、ぼくはボールペンの芯をキュッキュと回し、新しい芯へと交換した。