見テ知リテナ見ソ
中1 あえなて(aenate)
2025年6月2日
見テ 知リソ 知リテ 見ソ 見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしない方がいい、という意味でしょうが、実はもっと深い意味がある。柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということだ。己の直感を信じて感動しよう、というのだ。自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や、他の人々の声に耳を傾ける余裕、この際どいバランスの上に私たちの感受性というものは成り立たねばならない。少なくとも柳宗悦の言葉は、私たちに「知」の危険性というものを教えてくれる。
知識にとらわれずに物事をありのままに見ることは大切だ。
第一の理由は、先入観があると物事の真の姿を見ることができなくなるからだ。例えば野球で、ライト方向にしか打てないバッターで、ポジションをライト側に固めても逆方向に打たれたら終わりだ。先入観に囚われていなかったら、取れた打球かもしれない。僕は、練習試合で数年前に全国優勝した強豪チームと戦った。全国優勝をしたと聞いて僕はとても驚いた。そして数日前から緊張が止まらなかった。試合当日、僕はまだ緊張していた。強いという先入観があったから、緊張していたのだろう。しかしいざ試合になると、やるしかないという気持ちもあって、緊張感がほぐれた。僕のチームはその強いチームに一回勝てた。強いという先入観を持ちすぎて、後ろに守ってしまった時もあったが、自分の勇気を信じてプレーできたと思う。今度は先入観にとらわれずにどんな相手でも、緊張せずに、落ち着いたプレーをしていきたい。
また第二の理由としては、知識に頼らずジウンんおめで見た方が自分が成長するからだ。中学校になって、各教科のワークブックが配布された。それと同時に回答・解説というものも一緒に配布された。ワークは、学校や家で宿題がわりにやるのだが、それがある程度終わったら丸つけをする。しかしその回答を利用して、答えを移す人もいるだろう。しかしそれはいっときは、良い気分になれるが、定期テストになった時に、ワークをろくにやってないから、ワークで出たような問題も解けなくなってしまうのだ。回答を見るのは自由だが、自分のためになっているのかと考えれば、回答を見ずに自力でやった方がいいと思う。
確かに知識があった方が効率よくもの碁を見ることができるかもしれない。しかし「移動するためには多くの無知でなければならない」という名言があるように知識にとらわれず、自分の見方で物事をありのままに見あることは大切だ。