葉を失った木々が教えてくれたこと
   中1 ジュンノスケ(akasiyu)  2025年6月3日

先日、日本産時に絶滅が確実になったと報じられた。このような動植物を救おうとする姿は、「人間の良識」と評される。その通りと思う半面、自作自演ではないのかと虚しい思いがある。第二のトキを生む自然破壊が日本全国で進んでいるからである。現在、環境省が発行した、レッドデータブックでは絶滅危惧種は3772種にも及ぶ。イリオモテヤマネコのように絶滅の危機に瀕している生き物も多い。身近な生き物でも、日本在来のメダカやゲンゴロウやタガメなどの水生昆虫、ホタルなど、が激減した。人間の良識とは、そのような生き物に早急に手を差し伸べることである。絶滅が確実視されるまで放置した後で救済努力を傾注するのは大きな矛盾を感じる。 自然保護の先進国アメリカでは世界に先駆けて国立公園を設置して、自然保護を始めている。日本でも、1931年には、自然保護に全国的な制度が確立して今に至っているが、アメリカでは日本よりもはるかに土地は大きいし、緑も多い。しかし、世界よりも早く自然保護することに至ったアメリカは、他国より早く自然を破壊していたとも考えられる。 僕はこの文章を読んで非常に納得した。なぜなら、一度失われた生物はもう戻ってこないから守らなくてはならないなと思ったからだ。近頃、私の最寄り駅では駅の改築工事をしている。その際に邪魔になったのだろうか、バスロータリーに植えられていた木々がつぎつぎと切り倒されている。近年目立ってきた地球温暖化の抑制に一足買っている植物を伐採してしまうのは非常にもったいないなと思う。せめて移植などをしてその木を移し替えるなどをすればいいのにと思った。また、木を切られているところを見ていると葉をすべてなくしてから伐採されている。葉がなくなって寂しい木が視界に入ると作業をしているわけでもないのに、こちらの心が痛む。今ここにある動植物を大事にしてもらいたいところだ。 今僕の最寄り駅で起きた出来事だけでは地球にはそれほどの大きな被害はない。しかし、地球規模で見てみると、熱帯雨林がなくなっていき、砂漠化が進み、地球の平均気温がどんどん上がっている。こうなると、塵も積もれば山となるで、地球温暖化が、どんどん進む。近頃の人々は「暑い、暑い」と言っているがその根本的理由は、森林を伐採し、焼畑を繰り返し、石油石炭を燃やして電力を賄い、自動車を使って、排気ガス、温室効果ガスを排出している人間が原因ではないのだろうか。その影響で南極の氷が解けて、海面が上昇して島国や沿岸地域が海に飲まれている。私たちはそれでいいのだろうか。それを望んでいたのだろうか。地球温暖化、砂漠化、海面上昇が続けば地球で絶滅する動物が生まれる。特に平均気温の上昇の影響を強く受ける寒い地域で暮らす動物たちだ。「進化をしてもらって今を生き延びればいいじゃないか」ということをいう人がいるが、進化はそんな早いスピードできるものではない。こうして一種類の生き物が絶滅するとその生き物を捕食していた生き物は餌が減り個体数を減らす可能性がある。その生き物に捕食されていた生き物は、天敵がいなくなって数を増やして、問題になるだろう。こうして生物ピラミッドが壊れていくのだ。寒い地域だけではなく世界各地で発生すれば地球環境は壊滅して人間は手に負えなくなるだろう。きづいたころには「時すでに遅し」だ。寒ければ服を重ね着すればよいが暑くなると脱ぐ量には限度がある。もしかしたら人間の絶滅する原因は熱中症なのかもしれない。そんな人間が取り組むべき最大の自然保護は地球温暖化の抑制だと私は思う。そうすれば、人間は住みやすくなり、絶滅する可能性のある動植物を減らすことができるのだから。もちろん、絶滅しそうな動物の保護をするのは大事だが地球温暖化で、絶滅する生き物が増えてしまったら本末転倒である。 人間にとって自然とはまさに、心の宝物であり、遠い昔のご先祖様だと僕は感じる。 なぜなら人間は長い間自然お供に暮らしてきて、自然の中に生まれたからだ。そんな人間は、脳の発達で自然を忘れて、発展に夢中になった。人間によって多くの生き物が絶滅していった。その絶滅しかけた生き物のうちの一握りだけが人間の保護を受けているのは少し納得がいかない。しかし、僕らに生物保護をするのは難しいだろう。そんな中でも地球温暖化を抑えることは僕らにもできる。地球温暖化を抑えることで、僕らのためにもほかの生物のためにもなるのだ。 さあ始めよう。環境保護の第一歩を。