落ちてきたら
   中1 あかまな(akamana)  2025年6月3日

 「月とスッポン」と言うことわざがある。2つのものがあまりに違いすぎる、不相応だと言う意味だが、このことわざ自体、月とスッポンと言う非常に遠いものを結びつけて、「月とスッポンのようだ」としているために、長く私たちの印象に残ることとなったと私は思う。比喩を、日常の会話でも効果的に使うと、表現が生きてくる。「赤ん坊が激しく泣く」と言うより「赤ん坊が火がついたようになく」、と言った方が印象の強い表現になる。他にも野球のファーボールを投げる、と言うような肉体的な技術は、その動きをやって見せることが最上の、それ以外にない教え方だと思っていたが、そこにも比喩は大きな働きをするのである。このようなことから、私は比喩は大切だと思う。

 第一の理由として、比喩を使うことで、相手にわかりやすく、イメージを伝えることができるからだ。私は保育園の頃からおよそ小学生の時まで料理教室に母と通っていた。料理教室では、料理をするときのコツであったりだとか、おいしい料理の作り方を習ったりする。その料理教室で教わった野菜や果物の切り方は、聞き手と反対の手を「猫の手」にして切る、と言うやり方である。猫の手にする、といっても、実際に本当の猫の手にするのではなく、比喩としてわかりやすく説明するためだ。火を使わず、1からこうして、こうやって・・・と説明されると、時間もかかるしわかりにくい。だからこそ、相手が知っているものを比喩として例えて、わかりやすく物事を説明することが大切なのだ。

 第二の理由として、比喩を使うことで相手に情景を想像させることができるからだ。私は5ヶ月のアメリカンピットブルのレモンを飼っている。私が父とレモンを散歩していると、道で出会った人に、

「こぶたのように、丸々していて美味しそうだね。」

と言われた。この「美味しそう」という意味は、実際に食べたい、と言うような美味しそうではなく、食べてしまいたいぐらいぷくぷくしている、と言う例えに過ぎないだろう。他にも、この子は花のような女の子だと言うよりも、この子はすみれの花のような女の子。この子はひまわりの花のような女の子、ということで女の子がどのような人物なのか見当がつくだろう。具体的な花の名前を入れることで、その子がどのような人物像なのかを考えることができ、比喩の素晴らしさに改めて気づくことができた。

 確かに、数学などを使って、物事を正確に表す方が適している場合もある。しかし、「辞書のような人間になるのではなく、辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である」と言う名言があるように、ときには比喩を使いながら、自分なりの表現を工夫していくことも大切である。