見テ知リソ知リテナ見ソ(清書)
中1 はななは(hananaha)
2025年6月4日
見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしない方がいい。その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見て触れること、体験することそしてそこから得る直感を大事にすることが大切である。しかし、知る必要がない、勉強する必要がないということではない。柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということであろう。自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や他の人びとの声に耳をかたむける余裕、このきわどいバランスの上に私たちの感受性というものは成り立たなくてはいけないのだ。私は、知識にとらわれずに物事を見ることは大切だと思う。理由は二つある。
第一の理由は、先入観で物を判断すると本当のことが見えなくなるからである。人は一目見た時の印象にとらわれてしまいがちである。私もその中の一人だと思う。最近で言うと中学校の入学式だ。私たちの担任の先生が発表されたときとても怖そうな先生だと思ってしまった。それは、その先生が体格がよくて目が細かったからだ。しかし、初めて話したときとても優しい先生だとわかった。音楽の先生で、とても声が優しかった。人は見かけによらないなと思った。
第二の理由は、知識がないことで先入観にとらわれないため良いときもあるからである。これは少し前、母に聞いた話だ。妹はサッカーチームに入っている。そのチームの他の学年でコーチ不足だった。コーチは大体経験者であることが多い。しかし、その学年には経験者の親がいなかったため、未経験者の親がコーチをやることになった。そうしたら監督は、逆にこっちの方が良いと言ったそうだ。それは、こうしなくてはいけないという偏見がないからだ。経験者だとここはこうやるということが分かっている。未経験者だからこそ、新しい発想が生まれると考えたのだろう。さらに、調べてみるとライト兄弟の話が出てきた。ライト兄弟は飛行機を作ったが、基礎的な知識がなかったからこそ成功できたと言われている。知識がないことで変な先入観にとらわれず、成功することもある。
確かに、知識があった方が効率が良いかもしれない。知識があることで楽なこともある。しかし、「素人だからこそ、非常識だからこそ、ええ知識がでるんや。」という松下幸之助さんの名言がるように、知識がないからこそ良いときもある。だからと言って、知識をつけるなということではないが。変な偏見を持たないようにすることが良いと思う。ライト兄弟のように知識がなくても、成功することはあるのだ。だから、偏見にとらわれずに新鮮で新しいことを考えることが大切であり、これからもそうしていきたいと思った。