一つの見方だけでは
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なんらかの知識が頭の中にあると、素直に見るということが困難になってくる。知識を得ると言うことは必要であるが、知識があるが為に柔軟に物事を考える感覚を失ってはならない。もし、美術品を見ると、作品に対するのはこの世界に一人の自分だけだ。そこで自分が感じたことも信じつつ、知識や他人の意見にも耳を傾けねばならない。この様なことから、物事を見るときに一つの見方などに縛られないことが大切だ。そう考える理由は二つある。
第一に、一つの見方にこだわるとそのほかの見方が出来なくなるからだ。例として、僕の通っている中学校の国語の授業の話があげられる。最近、国語の授業で騙し絵の文章を習っている。その文章に出てきた絵が、僕には不思議でたまらなかった。なぜかと言うと、その絵はパッと一目見た時に女性が横を向いている絵に見えるが、見方を変えて絵を見ることで、鼻の長いおばあさんがこちらを向いている絵に見えるからだ。僕は、この絵をどれだけ見ても女性が横を向いている絵にしか見えなかった。しかし、横の席のにいる女子に聞いてみると、ちょっと口の所を手で抑えると鼻の長いおばさんに見えるよと教えてくれた。僕は確かになと思った。僕の隣の席の女子は一つも絵も見方を捨てて、もう一つやそれ以外の考え方が出来るのは凄いなと思った。しかし、今度はその絵を見る度に僕は、鼻の長いおばさんにしか見えなくなってしまった。(笑)このことから、すなわちその絵に対する固定観念や思い込みを手放し、別の視点から物事を捉えることで、新たな発見や気づきを得ることができると思った。
第二に、知識ばかりに頼らず、自分で確かめることが大切だからだ。母に聞いた話なのだが、母は電子機器で本を読むことがある。そこで本を読む前にその本の口コミなどを見るらしいが、そこにこの本は面白くないなどの口コミが書いてあることがあるそうだ。しかし、試し読みなどをしていると意外と面白かったり、新しいことが知れたりすることがあると言っていた。すなわち、他人の意見ばかり信じすぎるのも良くないのだ。実際僕も母と同じような経験をしたことがある。それは、最近読んだ本なのだが、題名だけみれは説明文の様な題名で、そのことについて、淡々と書いてあるのかと思っていたが、読んでみると説明文ではなく物語文でとても面白かった。どの様なところが面白かったかと言うと、その本の内容は科学関連の内容なのだが、分かりやすく科学的に説明しているところだ。改めて、自分でなんでも確かめることは大切と思った。
確かに、知識があることで物事が見やすくなるかも知れない。しかし、「行動する為には多くのことに無知でならなけれはならない」と言う名言があるように、大切なことは知識ばかりに縛られない様にすることなのだ。