比喩と物事の理解
   中1 あかさき(akasaki)  2025年6月3日

 「落ちてきたら」という詩は、作者がある雑誌の依頼で、子供が紙風船で遊んでいる一枚の写真につけたものである。この詩のいのちは、すばらしい比喩にあるといえる。この詩を読むと、紙風船が落ちてくるのに目をとめるより、何度も打ち上げることに生きる証を見つけよう、というような祈りに似た詩の心が伝わってくる。比喩を、日常の会話でも効果的に使うと、表現が生きてくる。比喩は大切だと思う。



 第一の理由は、比喩を使うとわかりやすくなるからである。小六のときの担任の先生が、「少しずつの努力が大切」ということを比喩を使って説明してくれた。中学校進学に向けて、勉強を頑張ろうとしていたとする。山のけいしゃにたとえると、標高0mの横軸が月日となり、山の頂上が小学校卒業、つまり三月となる。四月から、毎日少しずつ勉強頑張り、努力していれば、山のしゃ面はゆるやかだ。だが三月から努力を始めたとした、 山のしゃ面はほぼ垂直で、とても急になってしまう。これは三月から努力を始めると、とても大変になってしまう、ということを意味している。この山のけいしゃの比喩により、私は、少しずつの努力の大切さを、深く理解することができた。



 第二の理由は、比喩を使うと相手に伝わりやすくなるからである。私の母はピアノの講師をしている。母に、ピアノの弾き方や音の読み方などを、どのようにして、小さい子でも理解できるように教えているのか、聞いてみた。すると、子供にも理解しやすいように、比喩を使っていると教えてくれた。例を挙げると、「ピアノを弾くときは、卵をやさしくにぎっているような手の形にする」ことや、「スタッカートを演奏するときは、熱々の鉄板を一しゅん『あついっ!』とさわるようにする」ことである。私も小さい頃、母にこのように教わってきたが、小さな私でも、すぐに理解ができた。このように、表現や説明が難しいものも、火を使うことで伝わりやすくなる。



 確かに文字や数字などを使用して正確に表す方が適している場合もある。しかし、「辞書のような人間になることではなく辞書を上手く使えるような人間になることが勉強の目的である」という名言があるように、比喩をうまく使い、物事の理解をより深めていくことも大切である。このように、比喩を使うと、物事がより分かりやすくなる。これからも、比喩を使って、物事の理解を深めていきたい。