無意識の支配化で
高2 あうそな(ausona)
2025年6月3日
現代社会の問題点は、人間が道具を使う主体ではなく、道具に使われる存在になりつつあることだ。便利な道具に頼りすぎることで、私たち自身の創造力や判断力が弱まっている。
一つ目の原因は、コンピュータの親切さによって、使う人の主体性が育たなくなってしまったことだ。誰でも簡単に使えるようになった結果、機械の仕組みを理解し考える力が不必要となってしまった。取扱説明書を読んで試行錯誤しながら機械を扱うというついこの前までのやり方はもう存在しない。文書作成アプリWordもその例の一つだ。こっちから依頼していないのに、自動文法訂正が勝手に赤線を引いて修正する。別に間違いを正すことは悪いことではないと思うが、気付かぬうちに修正され、誤った覚えてしまうこともあると思う。また、自ら単語の正誤を調べることにこそ意味がある。おまけに、間違ってすらいない表現に、赤線が勝手に引かれるのもなんとも気にくわない。まとめると便利さが主体的な思考を奪い、主体性が育たない環境をつくってしまっている。実際、MITの研究では、ChatGPTを使った人たちは脳活動が減り、創造力や記憶力が低下していることが脳波測定で示されている。要するに、機械による即時の答えに頼れば頼るほど、自分の中の考える力が衰えていく構図が生まれている。
二つ目の原因は、人間から道具に注文するという意識が薄まっていることだ。昔は自分の欲求やしたいことに合わせて道具を選択し使っていたが、現在では道具にある機能の中に合わせてできることを選び出している。私の家では普段ピザを作る時は、オーブンでピザコースを選択して作っている。しかし以前旅行先の宿でピザを作ろうという話になった時、電子レンジにピザモードがないから作らないという選択に至った。今思い返してみると、自分たちのピザを食べていという欲望より、道具にある機能を優先していたのだと気づいた。このままでは、僕らはいつの間にかAIに支配されてもおかしくない。人は、機械が出した提案を無条件に受け入れ、逆に自分の考えを停止してしまう傾向がある。それはGoogleマップのといった、GPSに従って道を選び、自分で判断しない状況と同じだ。つまり、道具を基準とした近代の人間の思考は、それが極まると、AIを代表とする道具による無意識の支配を招かざるを得ないのだ。
たしかに、誰にでも使える親切な機械のおかげで、技術の恩恵を広く受けられるという面はある。しかしそれでも、私たちが道具の力に依存しすぎて、人間のしたいことをサポートするはずの機械が人間の発想や考える力を奪ってしまうようでは本末転倒だ。私はこれから効率の向上や時短の目的として道具を上手に使いながらも、人間独自の思考やアイディア、個性を見失わぬようにしていきたい。