ガッツがあるとか(清書)
   小6 あけやの(akeyano)  2025年6月4日

 「一心不乱」はすばらしいのですが、「盲目的ないちず」が困る。いつも「主人公」が目覚めていなくては、物語にならない。そのためにも「遊び」が必要ではないか。自動車のハンドルにも「遊び」がある。あの遊びがあるから、少しばかり手がすべっても、急な変な方向へ曲がらなくてすむ。好奇心が働き出せば、自然に知識欲がが湧いてくる。しかし、無理やり、知識を頭の中へ詰め込まれた結果、人間本来の好奇心がすっかり消えてしまった。

 私は、余裕を持たずに物事を行って、失敗してしまったことがある。それは、学校の宿題をしていた時だ。私は寝る時間が刻一刻と迫ってきているの中で、宿題をしていなかったのに気づいた。いつもは25分書いたら5分休憩とやっているのだが、

「時間がない、やばい!」と思って、ぶっ続けで勉強した。しかしその結果、いつもの2倍以上の時間がかかってしまった。そして結局、寝る時間には間に合わず次の日の朝にやることになってしまった。いつもの25分頑張ったら5分休憩は母に言われてなんとなく実践していたのだが、効果がやっとわかったのはこの時だった。さらにYouTubeで調べてみると、名前は忘れてしまったが、外国人の先生がある学生の話をしていた。その学生は勉強時間が少なく成績が悪かった。しかし一念発起して毎日午後6時から11時くらいまで休憩なしで勉強した。そうすると、なんと、成績が前に比べて悪くなっていたのだ。何故かと言うと、勉強はしていたものの、ずっと集中しないでダラダラやっていたからだ。5分でもいいから短い休憩を入れることで集中が続くようになるのだ。

 「遊び」には「余裕」「余地」という意味もある。車にもその「遊び」がある。例えばベアリング。ベアリングは回転を伴ういろいろな場所に使われている部品だ。そのベアリング内部とボールの起動の間に少しだけ遊びがある。遊びがあることで回転がスムーズになり、熱膨張にも対応できる。一方、遊びがないと、摩擦が増加し、最悪の場合焼き付きが起こる。安全のためにも、やはり、遊びが必要だ。

 人間にとって遊びとは、ちょっとした栄養補給であり、やる気を継続させてくれるものである。だからこれからは、どれだけ時間がなくても、短い休憩を入れて集中力を継続させていきたいと思う。