自然は大切
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日本産トキの絶滅が確実になったと報じられた。種の存続のため、中国産のトキを借り受けてペアリングをしたり、様々な努力がはらわれたが失敗に終わった。トキのように絶滅寸前にまで追い込まれた動物や、その数を激減させている植物を救おうとする姿は、「人間の良識」と評される。その通りと思う半面、偽善ではとの虚しい思いが残る。第二第三のトキを産む自然破壊が、日本全国で進んでいるからである。一九八九年に気象庁が発行した、レッドデータブックには緊急に保護を要する動物だけでも約三万七千近く記載されている。身近な動物の中にも、姿を見ることが稀になったものが少なくない。例えば日本在来のメダカは外来種に追われて、東京の河川では滅多に見られない。ミヤコタナゴやゲンゴロウなども見なくなった。人間の良識とは、その数が激減している動植物に対し、早急に保護の手を差し伸べることである。絶滅が確実視されるまで放置した後で、救済努力を傾注するのは大きな矛盾を感じる。
僕は似た話ではないが、なぜ東京などの都会に、山や虫が少ないのかを考えてみた。まずは山だ。東京や神奈川は、羽田空港あたりなど埋め立てを江戸時代もしていたので、土地が足りないと考えられる。だから山を残すより、山を削ってたいらにし、マンションや会社などの建物を作り、削った時の土にいた虫達は埋め立てまでの過程で死んだか、そのままどこかに捨てられ、餓死をしたのではないかと考えた。虫は先ほど言った虫達の他にほ生垣などにいる虫だ。例えばダンゴムシやありだ。生垣は放っておいたら、葉ぼうぼうの管理できないものになってしまうから植木屋さんがくる。その時電気低木トリマーなどを使って葉や枝を切る時に虫が巻き込まれ、死に至っていると思う。現にどこかのマンションの生垣に、春や冬にはダンゴムシがまあまあいたのに、初夏の季節になって植木屋さんがきて綺麗にしたあとダンゴムシが見れなくなったのだ。
お母さんのにた話としては、ここら辺の都会は、気軽に登り降りできるいい山がないだそうだ。どうもお母さんの地元の兵庫にはそのような山はお母さんが知っているのは三、四箇所あったそうだ。だから宿題に行き詰まったりした時には、その山に登って、気分転換をし、もう一回宿題をするとやる気が出て、調子が良くなったそうだ。しかし、ここら辺にはそのような山がなく、そのような気分転換ができないそうだ。だから寂しいがだからと言って里山などを作ると、猪や鹿などが出て危ない。だからお母さんは自然と共存するのが難しくなったと思ったそうだ。
人間にとって自然とは人間が生きていくため、安らぎを得るために大切なものでこれからも守っていかなくてはいけないものだ。