向上心を持つ
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現在、何もしないでいる状態を「何もしないことで維持するのは難しく、その状態は芝居の暗転や幕間に似ている。つまり、流れる時間と、積み重なる時間の双方を交互に体験する事も大切である。この何もしないための手続きの大切さを、趣味などの流行りが象徴しているのだ。私たちは、意識した時間の中で、休息を見出すべきだ。

そのための方法として、第一に「探求できる趣味を持つこと」が挙げられる。そもそも趣味というものは、息抜きや暇つぶしとして何となく行う、あまり意味のないものだと考えている人が多いのではないだろうか。しかし、趣味に真剣に向き合い、意識的に取り組むことで、それは人生のさまざまな場面に応用できる「武器」となるのではないか。なぜなら、自分の好きなことに没頭した経験は、自信や継続力といった大きな糧になるからである。だからこそ、一度立ち止まって、自分の趣味として取り組んでいることが「何となく適当にやっているだけ」になっていないか、本当に自分が心から好きなことなのかを見直してみてほしい。もし、それがただの暇つぶしであったなら、魅力を見出して好きになれるよう意識を変えたり、より向上心を持って取り組める趣味を新たに見つけたりするべきだと思う。僕も、普段プロ野球スピリッツAというゲームをしているのだが、はっきり言って暇つぶしで選手の育成が大半を占めることから、かなり苦痛である。でも、その育成した選手でリアルタイム対戦でホームランを打てたという快感と喜びがたまらないのだ。この楽しさのために向上心を持って地道な育成という作業をやっていれば、決してそれは苦痛でやめたくなるストレスにはならないのだ。逆にそんな苦労があるからこそ生まれる達成感や喜びがあるのではないか。そんな遊びでやっていることは普段の勉強や目標のために通らなければいけない道と同じなのである。すなわち、ほかの人からしたら無駄なことでも、そのことに全力で取り組み楽しむことが普段のやらなければならない課題にいかすことができるのである。

第二に、「拘束時間ではなく、成し遂げたことを評価する社会」をつくることが重要である。よく、忍耐力をつけさせる目的で、非効率的な古いやり方に固執する人がいるが、それは必ずしも良い方法とは言えない。なぜなら、長時間働けば高い成果が得られるとは限らず、むしろ短時間で効率よく成果を上げる人の方が、本来高く評価されるべきだからである。

たとえば、同じプロジェクトを3時間で仕上げる人と、10時間かけて仕上げる人がいた場合、これまでの社会では後者の「努力」や「頑張り」が評価されがちだった。しかし、これからの時代には、時間の長さではなく、その中身や密度に注目する必要がある。さらに、成果を基準とする評価制度は、多様な働き方を可能にする。子育てや介護など、制約のある環境にいる人々にとって、「時間に縛られない働き方」ができることは、意欲や能力の発揮にもつながる。

もちろん、過程や努力をすべて無視してよいというわけではない。しかし、「何を成し遂げたのか」という観点を重視することが、生産的かつ公正な社会の実現に近づくと私は考える。したがって、私たちは拘束時間に依存した古い価値観を見直し、成果主義を柔軟に取り入れる社会を目指すべきである。実際、近年ではフレックスタイム制やリモートワークといった仕組みが広がり、同じ仕事量でもより快適な環境で進められるようになっている。これは、学生にもあてはまることだ。たとえば、毎日何時間も机に向かっている生徒が、必ずしも優秀とは限らない。むしろ、短時間でも集中して学び、高い理解度や成果を出せる生徒こそ、真に効率的な学習をしているといえるだろう。現代の学生は、学業に加えて部活動や趣味、アルバイト、家庭の手伝いなど多くの役割を担っている。そのため、「どれだけの時間勉強したか」ではなく、「どれだけの成果を出せたか」という視点から評価されるべきだ。たとえば、2時間の勉強でテスト内容をしっかり理解した生徒と、6時間かけても要点をつかめない生徒がいた場合、前者の方が高く評価されるのは自然なことである。このように、学生にとっても「拘束時間」ではなく「成果」によって評価される仕組みは、公平かつ意欲を引き出すものである。だからこそ、私たちは時間の長さに価値を置くのではなく、成し遂げた成果を正しく認める社会を目指すべきなのだ。

 確かに、「何もしない」というリラックスの方法も大切である。「静けさだけが心を癒すとは限らない。騒がしさの中に、ふと救われることもある」という言葉が示すように、私たちはそれぞれの意識的な休息のかたちを持ち、精神的に無理のない環境を整えていくべきだ。