幅広く
   中3 あうえあ(auea)  2025年6月3日

 代では学術研究の場においてだけでなく、企業活動の場においてもまた専門化がすすんでいます。それぞれの場で陣頭にたって仕事を押し進めているのは専門家たちです。現代は、まさに専門家たちの時代であるというべきかもしれません。それだけにまた現代は「専門バカ」たちの時代となる危険性もおおいに孕んでいるのです。

 ただの専門家というのは、いわば塀に囲まれた住居の中だけで外からの情報を得ることもなく、生活している人みたいなものです。塀の中のことは四六時中よく見て廻(まわ)っているのですが、塀の外はなにも見えないし、かといって外へ出かけていく余裕もないのです。専門家は自分の専門とする事柄についてはよく知っていても、ただそれだけだったらほとんどすべての事柄については無知だということになります。

ところが、自分の専門外の事柄についてある程度理解することができ、思慮分別を伴った言論を展開できる人たちがいるのです。その言論は当の専門家をもうなずかせたり、一考を促したりすることがあるのです。そういった言論の基盤となるのは、何なのでしょうか。それはもはや専門的な知識や技術ではなく、常識や一般的教養なのです。

私は専門的な知識だけではなく幅広い教養を身に着けた人間になりたい。

そのための第一の方法としては、自分が興味のない、好きな分野以外のことや、一見無駄に思えるようなことにも目を向けてみることである。

たとえば、私はずっとフィギュアスケートに打ち込んできて、毎日練習と大会で忙しくしていた。でもあるとき、先生にすすめられてバレエのレッスンを受けることになった。最初は「今さらバレエ?」と半信半疑だったが、実際にやってみると、体の使い方や動きの丁寧さが全然違い、スケートにもとても役立った。ジャンプやスピンの安定感が増しただけでなく、演技全体の表現力が上がり、「気持ちが伝わるようになった」と言ってもらえるようになった。それ以降、自分の演技をどう見せるか、音楽とどう向き合うかを考えるようになり、スケートに対する向き合い方が少し変わった気がする。一見関係なさそうなことでも、視野を広げることで、好きなことをより深めるきっかけになるのだと思う。

 また、第二の方法としては、学校などでも知識をただ詰め込むだけの教育ではなく、幅広い教養を身につけられるようにすることが大切だと思う。今の教育では、テストで点を取るための勉強が中心になりがちで、「覚えて終わり」になってしまうことも多い。でも、社会に出て役に立つのは、知識そのものよりも、それをどう使うか、自分でどう考えるかという力だと思う。たとえば、歴史をただ年号で覚えるのではなく、そこで起きた出来事の背景や人々の考え方に注目すれば、現代の問題にも通じる気づきがあるかもしれない。理科や数学でも、公式を覚えるだけでなく、「どうしてこうなるのか」といった仕組みを理解することが、物事を深く考える力につながる。そうした幅広い教養があることで、自分の専門や得意なことだけでなく、社会のさまざまな問題に対しても関心を持ったり、自分の意見を持ったりできるようになる。だから、学校でももっと「考える力」や「感じる力」を育てるような幅広い教育が大切だと思う。

 確かに一つのことに専念し深く追求していくことは大事だ。しかし「無知は罪なり、知は空虚なり英知持つもの英雄なり」という名言があるように私は専門的な知識だけではなく、幅広い教養を身に着けていきたいと思っている。幅広い知識を持つことに損はないだろう。人と話をするときにもっと深い話をできるようにもなる。これから私はもっと色んな知識を学んでいきたい。