発想と論理
中2 すみひな(sumihina)
2025年6月4日
皆さんは説明文を読んだことはあるだろうか。本を書いている人はたいてい、論理立てて文章を書いている。「AがBだから、Ⅽということになる。つまりⅮだ。」のような考えに考え抜いて出した結果だと思わせられるが、本当は実験のきっかけなどというものは、思いつきでやったものなのだ。科学界には、「論理優先」の風潮があるらしい。しかし、今も医療の世界で活躍しているほとんどのものはどれも、偶然見つけられたものが多い。例えば、ペニシリンはアレクサンダーが培養皿を放置していたところ、ペニシリウムの周囲の菌が死滅していたことで発見された。科学的な発見には、論理的な思考だけでなく、「発想」の力も必要だと私は思う。
直感に基づく発想が道を切り開くことは、科学に限らず、歴史上多くの場面で見られる。例えば、電子レンジは、パーシー・スペンサーがレーダー装置の実験をしている際に、チョコレートが溶けていたことに気づき、「加熱に使えるのではないか」と思ったことがきっかけだった。最初から「マイクロ波で食品を加熱する方法」を考えていたわけではない。偶然の発見に対して「なぜだろう?」と考える直感的な発想力がなければ、私たちが使っている便利な家電は誕生しなかったかもしれない。「石橋を叩いて渡る」ように慎重さも大事だが、時には思い切ることも必要だと私は思う。
しかし、直感だけで物ごとを決めてしまうと、他の人にあまり伝わらないことがある。例えば、数学では「なんとなくこうなるはずだ」と思っても、それでは答えにならない。正しい式や言葉を使って、考えを一つ一つ積み重ねていく必要がある。特に証明問題では、「Aが等しいからBも等しくなる」というように、理由を順番に説明しなければいけない。私も最初は「これはこういうもの」と感覚で覚えようとしていたが、決まった書き方で答えを出さなければいけないと知り、手順を意識するようになった。また、歴史の中での例として長篠の戦いが挙げられる。織田信長が、鉄砲隊を3列に組み合わせて効率的に敵を倒す方法を発見したことは、論理的な思考を代表していると思う。現実的に判断するには、論理的思考が欠かせないのだ。
確かに、直感にも論理的思考にもそれぞれの良さがある。直感は創造を生む力であり、論理はそれを裏付けてほかの人と共有するための手段として、最適な方法だと思う。だが、一番大切なのは、この二つを対立するものと考えるのではなく、「どちらも大切にしながら柔軟に使い分ける」人間らしい思考の姿勢である。実験をして、答えをひらめいていても、それを「科学的」に説明するにはデータという論理的に説明するための道具が必要だ。このように、発想と論理のあいだを自由に行き来できる柔軟さがあってこそ、科学的思考や問題解決が可能になるのだろう。もし、これから私が、何かに反対されることがあってもひらめきで動ける大人になれたらいいなと思う。