実行の過程
   中2 あおらえ(aorae)  2025年6月4日

  中央アルプスの高度2500メートル付近に生えているハイマツにいるマツキノハバチを大学の研究室で、摂氏二十五度を飼育温度として飼育すると、四日間ですべての幼虫が死に至った。翌年は一部幼虫を十六度で飼ってみるも、全滅であった。だが、三年目にふと閃いた。高山では昼と夜に大きな温度差があるから、ハバチは温度の振れに耐えられ、またそれを必要としているのかもしれない、と。実際に昼は二十五度、夜は五度という条件で飼育すると、ほとんど死ぬことなく繭を作った。しかし、学会で思いついたとは言えない。データに基づいた論理的推理を展開する形をとる必要がある。これが、今までの科学と科学教育の落とし穴だ。科学も技術も、ずっと人間的なものだということを、深刻に意識することが大切だ。



 論理的思考はよい。論理的な教科・学問は比較的理解しやすく、またされやすいといわれる。論理の飛躍がなく、だれもが、文化の違いなく事実であると認められ、よって誰もが同じ結論を規則に従って出すことができるからだ。「三匹の子豚(The Three Little Pigs)」という英国発祥の童話がある。日本ではよく知られているが、長男が藁で家を作り、次男が木で家を作るが、どちらもオオカミに吹き飛ばされてしまう。しかし三男だけは頑丈な煉瓦で家を作ったため、オオカミに吹き飛ばされることなく暮らすことができた。藁、木、煉瓦の順に建築に要する時間は長くなるが、しかしながらオオカミに吹き飛ばされやすくもなる。目先のことばかりに気を取られず、後に自分の得ることになる利益も鑑みて意思決定をする、すなわち論理的な考えを持つべきだ。



 一方で直感的な思考もよい。直観的な思考には時間がほとんどかからない。だから緊急時には直観で物事を決めなければならなくなる。さらに、歴史上の発見は論理的思想だけが育んできたのではない。直観的思考も大きな役割を担っている。例えば、ニュートンは庭で木から林檎が落ちる様子を見て、何らかの力が働いているのではないかと思ったらしい。オランダの心理学者・ダイクストラハウスらは「無意識思考効果」という理論を提唱している。これに伴った実験では、架空の、様々な情報が提示された数台の車の中で、他よりも圧倒的に優れているのを見つければ正答とされ、熟慮グループ、即決グループ、直感グループに分かれさせた。熟慮グループは4分間考えるように指示され、即決グループはその場ですぐに決める。そして直感グループは情報を見た後に別の課題について考えさせられる、といった具合だ。正答率は、それぞれ約25%、約30%、約60%だった。これは意識的思考が限られた容量しか対応できないことに対し、無意識な思考は並列的に、大量に処理できるからである。



 確かに、論理的思考と直感的な思考にはそれぞれ良さがある。それらはどちらかに統合ができるものではなく、それぞれ固有のものとなっている。そのため、そのどちらも場合に応じて使い分けることはとても大切で、是非ともそうやるべきであると思っている。しかし、「実行に移さなければ、『想像』は『幻覚』の同義語となってしまう」という実業家のマーク・ハードの言葉がある。その言葉の通り、最も大切なことは、自分なりに考えたうえで実行に移すことだ。実際に行動を起こすことだ。自らの思考の結果を実際に行わないのであれば、その考えるという意味自体が薄れてしまう。論理的な思考と直感的な思考とは、実行するための、いわば「説明書」を作っている過程に他ならないのである。