コオロギはリーリーと(感)
小5 あきらほ(akiraho)
2025年6月4日
ヨーロッパ人の耳には美しいコオロギの鳴き声も雑音としてしか聞こえない。聴覚の仕組みが日本人とヨーロッパ人では違う。自分自身の直接的な体験を通して得られる知識は少なく、他人から知識を得ることによって見え方や、感じ方が変わってしまう。また現実の見え方や感じ方を変えてしまうのは知識だけでなく習慣もその一つだ。日本人とヨーロッパ人では聴覚の仕組みが違うのは、日本人の習慣が日本人の耳を少しずつ変化させてきたからだろう。
僕は三年生のころ、刺身の盛りつけを母に任されていた。その当時の僕は魚の切り身をにっこりマークや動物の形にして盛り付けをしていた。しかし、僕は休日にユーチューブで料理人の刺身の盛り付ける動画を見た。その動画を見て僕はおどろいた。なぜなら職人さんの盛り付けが華やかで美しかったからだ。僕が良かれと思ってやっていたものを一気に砕かれたような気がした。僕の心はまるで積み重ねていた石が一気に崩れ落ちるような感覚だった。知識を得ることによって、考え方が変わり、反省点が生まれ、何事もより良くなるということだと思う。
二年前の夏休みに、祖母の家へ帰省した際、母が隠し味に砂糖を入れたポテトサラダを祖母に食べさせたそうだ。砂糖が入っていることを知らない祖母は最初は美味しいと言ったが砂糖が入っていることを知らされると、顔をしかめて、その後一切口をつけなかったそうだ。僕はちょっとした一言が人の感情を変えてしまうことが不思議に思った。
この文章を読んで僕は、人は経験や知識で心が変わり現実の見え方や感じ方さえも変わってしまうことが分かった。僕はいろいろな影響によって人々の習慣が少しずつ変化するのではないかと考える。例を挙げるとヨーロッパ人と日本人の習慣が違うことで、虫の音の聞こえ方が違うように、縄文時代の人々と、現代の人々の感じ方と考え方は違うと思う。何故なら、縄文時代は、衣食住が現代と大きく違うからだ。だから、時代が進むにつれて少しずつ少しずつ、衣食住の他だけでなく未来には感じ方や考え方が変わるのかもしれない。