直感から考える
   中1 みお(aemio)  2025年6月4日

  「知る」ということは大事なものだととらえているが、ものごとを判断したり、それを味わったりするときに、その予備知識や固定観念がかえって自由で柔軟な感覚を邪魔してしまうこともある。だから、まず見て、触れて、体験することが大切だ。そして、だれがどう言っても自分が感じたことは絶対だから自分の直感は信じて、感動する。しかし、その絶対に安易によりかかってしまうと単なる独断や偏見になってしまう。だから、自分の感性、そして一般的な知識や他の人の声に耳を傾ける余裕をきわどいバランスの上で保たなければいけないのだ。知識にとらわれず、直感を大事にすることは大切だ。その理由は二つある。

 第一の理由として、その物事から考えるべきことがたくさん見つかってきて、そこから新たな発見が生まれることがあるからだ。私の学校の数学の授業で「正負の数」を習ったとき、私はすでに解き方や、「-×-=+」や「+×-=-」などの符号のかわり方は知識として知っていた。しかし、学校の授業で習うまで、なぜそうなるのか、とうことは知らなかった。もしも、自分は正負の数はもうすべて完璧だ、と思いこんでしまったままだったら、根本的なところがあやふやで理解できなかったと思う。しかし、知識を一度頭の中から追い出して、まっさらな状態から考えたら、自分は外側だけ知っていて、まるで内側にぽっかり穴が開いているように、内側の「なぜその式が成り立つのか」ということがわかっていないことがわかった。だから、知識にたよることなく、無の状態から考えてみることで、今まで知らなかったこと、考えてみもしなかったことが思い浮かんでくると思う。

 第二の理由として、直感を大事にすることで、自分の意見に自信を持ち、他の人と積極的に意見を共有するようになるからだ。私の学校の美術の授業では、授業の最初のほうに行う、「ルーティーン」という、鑑賞か、テーマに沿って集める蒐集か、模写の、日によって異なる、三つの中のどれかをする活動がある。私は絵画を見て、プリントに自分の思ったことや感じたことをかく、鑑賞の活動のとき、もしもその絵画のことを知っていて、その作者がいつどこでどんな気持ちでかいたのかを知識として持っていたら、知識に沿って考えてしまうかもしれないと思った。だから、自分の直感は間違っているのだと思って、ほかの人との意見の交流のときも正しい知識からの考えを述べてしまうだろう。しかし、私は知識にとらわれずに自分の素直な感想を書いたから、あっている、あっていないに関係なく、ほかの人に自分の考えに自信をもって発表することができた。だから、知識のことは一度忘れて、自分の感じたことをそのままあらわすことで、ほかの人の意見ともふれあい、自分の意見を成長させることができると思う。

 確かに、知識は自分の決断を手助けしてくれるものだから、知識もある程度は必要だ。しかし、「行動するためには、多くのことに無知でなければならない」という名言がある。この名言のように、知識をただ積むのではなく、自分の頭で考えることが大切だ。そして、知識ではなく自分のありのままの考えを持つことで、その先になにかしら見えてくるものがあると、自分の経験をもとに思った。だから、私は、知識にとらわれず、自分の直感を大事にすることは大切だと思う。