プレゼントにこめられた思い
小6 あえさた(aesata)
2025年7月1日
「わあ、ありがとう!」
思わず声が出た。なぜなら誕生日に友達からプレゼントをもらったからだ。
誕生日に友達がくれたのは、手のひらに収まるくらいの、小さなスポンジのバスケットボールだった。ふわふわで軽くて、けれど、見た目は本物のボールのようだった。僕が最近、バスケをしていることを知って選んでくれたのだと思う。値段で言えば高くない。でも、僕にとっては特別なプレゼントだった。友達が僕のことをちゃんと見てくれていた、その気持ちがうれしかったのだ。その日から、勉強にちょっと疲れたときや、うまくいかなかった日の夜に、そのボールを投げたりキャッチしたりして遊んでいる。ふわっとした感触が、心まで軽くしてくれるようだった。
母にも、そんなふうに気持ちがこもったプレゼントの思い出があるそうだ。二十年ほど前、母はおばあちゃんにサンゴのアクセサリーをもらって、またそれから一、二年後におじいちゃんからおばあちゃんの形見の腕時計をもらったそうだ。その腕時計はおばあちゃんがずっとつけていたもので、それを見るたびに、おばあちゃんがそばにいてくれているように感じるという。それを聞いて僕はプレゼントというのは「物」以上に、その中にこめられた思い出や気持ちこそが大切なのだと気づいた。サンゴのアクセサリーや腕時計は、母にとって、家族のぬくもりや大切な時間を思い出させてくれる「大切な宝物」なのだろう。母の話を聞いてから、僕がもらった小さなスポンジボールも、ただの遊び道具ではなく、友達との思い出がつまった大切なものに思えてきた。
人間にとってプレゼントとは、物そのものではなく、気持ちや思い出を伝える大切な手段なのだ。だから僕は誰かにプレゼントをあげるときは心を込めて選びたい。「一木一草にも心あり」ということわざがあるように、どんなに小さなものでも、そこに気持ちが込められていれば、特別な意味を持つ。僕にとっての小さなスポンジのバスケットボールや、母の思い出の品も、そうした心のこもった贈り物だった。だからこれからは、物そのものだけでなく、気持ちも込めてプレゼントを渡せる人になりたい。