手助けには良い面と悪い面が
中2 明香里(auseri)
2025年7月1日
私はこの間近くのスーパーにお菓子を買いに行った。会計が済んでお菓子をエコバッグに入れていたら、隣にいたおじいさんが肉や魚などを入れるビニール袋を取るのに苦戦していて、困っていたような様子だったので私は、
「取りましょうか?」
と声をかけて、ビニール袋を取ってあげた。おじいさんは笑顔だったので手助けをしてよかったなと思った。
確かに手助けをすることは良いことだ。私は中学一年生のとき駅の切符売り場で電車の路線図を眺めて立ち止まっている外国人がいた。私の勘では切符を買うのにどこまで買えばよいのか分からないのかなと思ったため、声をかけてみることにした。そうしたら私の勘はしっかりと当たった。その外国人男性は自分の行き先は分かっているのだが、漢字がよくわからないから何円分買えば分からないとのことだった。確かに路線図の駅名は全て漢字で書かれていて私が知っている関東圏の中で唯一漢字とひらがなが混ざっているのは、埼玉県のさいたま新都心駅だ。駅で声を駆けたことで分かったことは、外国人観光客には漢字が読みにくいということが分かった。私の住んでいる地域は路線図が古いままで地名が分からないと思う。都心に近づくと英語でも書いてあるのだろう。
一方、手助けをすることが返って邪魔になってしまうこともある。鶴の恩返しでは、助けられた鶴が人間の姿になって、機織りをして恩返しをしようとする。しかし、機織り中に部屋を覗いてしまい、正体がバレてしまったために飛んで行ってしまうのだ。このお話のポイントである、家主が部屋を覗いでしまうという行為は、心配して手助けをしたいというやさしい心掛けなのである。だが、その手助けをしようという思いが、かえって鶴を苦しめてしまう結果にたどり着いてしまったのだ。
私は小さい子と遊ぶのが得意で、この間プラレールを一緒にやったときにトンネルを定位置から動かしたら怒られてしまった。なのでちびっ子は遊んでほしくても自分でやりたいこともあるから難しいなと感じた。
確かに手助けをすることには良い面と悪い面がある。しかし、一番大切なことは、「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。」という言葉があるように、手助けをするにしてもしないにしてもその行為がただの見せかけの心のこもっていないような優しさではなく、そこには本当に相手に対する思いやりや、心のこもった態度があるかどうかというところである。
なのでこれから相手が誰であろうと、勇気を出し相手にとっても自分にとってもよい心掛けだと思えるように声を駆けてみたらよいのではないのではないか。