一つの視点だけでは見えないもの
中3 かののん(kanonon)
2025年6月4日
新しいことを知る楽しさや、知らなかった世界に触れるおもしろさは、日々の生活の中にたくさんある。たとえば、本や映画、展覧会などを通して、自分とはまったく違う考え方や文化に出会うことができる。そうした経験が、自分の考えや価値観に少しずつ変化をもたらし、人としての幅を広げてくれるのだと思う。興味を持ったことをきっかけに学びを深めていく中で、自然と教養は身についていくのではないだろうか。私は、専門的な知識だけではなく、幅広い教養を身につけた人間になりたい。
そのための方法としては第一に、得意な分野以外のことや、一見無駄に思われるようなことにも目を向けることである。私はバレエを長年習っているが、ある時期まで、バレエ以外のことにあまり興味を持たず、学校の勉強でも好きな教科ばかりに集中していた。しかし、ある舞台で、振付家から「踊りだけでなく、役の背景や時代についても調べて、自分なりに考えてから踊ってほしい」と言われたことで、初めて歴史書や哲学書に手を伸ばし、考える習慣が身についた。もちろん母の協力もあったが、結果として、踊りに深みが出ただけでなく、学校の授業でも物事を多面的に考える力が育ったと感じている。一見関係なさそうな分野にこそ、自分を広げるきっかけがあるのだ。
第二の方法としては、学校や塾などでもただ知識を詰め込んだり暗記するだけの教育をするのではなく、幅広い教養が身につくようにカリキュラムを組むことだ。たとえば、アインシュタインは伝統的な教育制度に馴染めず、形式的な授業に強い違和感を持っていた。そこで彼は、自らの興味に沿って物理や数学を独学しながら、哲学や音楽といった分野にも関心を広げていった。特に音楽は幼い頃から母のすすめでヴァイオリンを習い続けており、演奏することが思考を整理する時間にもなっていたという。そうした多面的な学びが、彼の独創的な発想や柔軟な思考力を支えたのだろう。理系と文系を超えた教養の大切さを示す好例である。こうした例からもわかるように、ただ覚えるだけの教育では教養は育たないと実感できる。思考力を養うような学びの場が、教養を支える土台になるのだと思う。
確かに、自分の好きな分野を深く追求していくことも大切である。しかし、スティーブ・ジョブズの「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きて無駄にしてはいけない。」という名言があるように、自分の信じる道を追い求めることは、同時に自分という存在を広く深く知ることでもある。その過程で、専門性と教養の両方を兼ね備えた人間へと成長していくのではないだろうか。現代のように変化が激しく、正解が一つではない時代だからこそ、自分の専門分野だけでなく、他分野への理解や常識、教養といった「自由人」としての資質がますます重要になってくる。教養とは、知識の量ではなく、ものごとの本質を見抜き、他者と共によりよく生きていくための力なのだ。私はこれからも、自分の専門を深めながら、それにとらわれすぎず、常に外の世界に目を向けて学び続けていきたいと思う。