目的意識
   中2 あおらえ(aorae)  2025年7月1日

  人は、手助けによって成長していく。生まれたときは何もできないが、様々な場面で助けられることによっていろいろなことができるようになる。それは、家の中でも学校でもおこっている。私には小学生一年生の弟がいる。入学当初は、夕方に小学校へ行く準備を手伝っていた。それから一瞬のうちに2カ月半が過ぎ、今では一人で準備をするようになった。ランドセルから入っているものを出し、鉛筆は削り、連絡帳を机に置き、翌日使う教科書やノートをランドセルへしまう。そのため、私の出番は宿題の丸付けほどでしかなくなっている。しかし、なぜかそれをやる順番は私が助けていたころにやっていた順と同じであった。人は手助けによってできることが増える。つまり、言い換えると、手助けがなければ人は成長できないということだ。



 だから、手助けはよいと思う。勉強面、生活面における手助けは、一人が自身でできることを増やすことができる。また、手助けによって困っている人を、たとえ赤の他人であっても喜ばせたり、楽にさせたりできる。日本には、「かさじぞう」という昔話がある。大晦日に爺さんはお金がなく、正月用の食材が買えないため町へ傘を売りに行ったが、全く売れなかった。帰り道に雪に野ざらしにされている地蔵さんを見て、売り物の傘をかぶせた。これを地蔵さんは大変喜んだという。その日の夜、地蔵さんらが感謝を伝えるために様々な食材を門の外に置いて行ってくれたという話しだ。このような善意による人助けは、人の役に立ち、また人を喜ばせることができる。



 だが、手助けをしすぎると相手は成長しない可能性もある。すべてのことを一挙に教えてしまうと、相手は考えることをやめる、もしくは自分なりの考えをまとめる時間が無くなってしまうからだ。中学1年生の時の図形の問題集を解いていた時にわからない三角形の合同についての問題が出てきた。そこで先生に教えてもらったが、後日解きなおそうとするとどうもうまくいかない。そのような失敗を数回繰り返すうちに、自分の考えがまとまっていなかったことに気づいた。自分の考えがはっきりとしていないと、一回教えてもらって納得しても、それは答えを見ていることと同じであると考える。だから、どのような難しい問題でも、とりあえず考えることが大切であるし、助ける側としては、まずはヒントを出すほうが相手の習熟は速くなるだろう。



 手助けをしたほうが良い場面と、そうでない場面とに分かれるが、それをどう決めるかは難しく、結果論になってしまいがちだろうと思う。だが、実際に効果は全く違う。「生き残るのは、最も強い種でも、最も賢い種でもない。最も変化に適応できる種である」と進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンは言った。生存という目的に向けて、生物は方法に固執することなく、様々に変化していったほうが得策であるという趣旨だ。同様に、手助けにおいてもするかしないかは後から考えることも可能なので、先ず手助けする相手を成長させようという意志を持つことが最も大切である。幼児にも、そのような意志を持って接したほうが将来的にできることが増えるのかもしれない。