研磨
   高1 あおそふ(aosohu)  2025年7月1日

 毎度、学期末に渡される通知表。地域によって「あゆみ」「通知簿」といったりするが、書かれている内容は、どこの学校でも同じであろう。そう、各教科を五段階評価で表したものだ。「数学は5だけど美術が2」だと、トータルでみたときの評価が下がってしまうため、受験するときに提出する内申書では不利である。では、どういった子の成績が受験校に提出する内申書において有利なのか。それは、全科目5のオールマイトな子だ。これは、受験に限ったことではなく就職においても同じようなことがいえると思う。そのため、苦手な部分を改善することが求められる。日本の社会では、全体的な平均点が高い人は社会適応能力があるとみなされる傾向がある。はたして、それは良いことなのだろうか。

日本人はもっと自分の得意を研磨することに重きをおくべきだ。

そのための第一の方法は、自分の得意とするものを見つけることだ。

得意を研磨する前に、自分が得意とするものを見つけなくてはならない。その見つける作業が一番の山場である。スポーツができる。楽器がひける。など分かりやすいものがあったらいいのだが、大抵の人は、自分の得意というのは表面に浮き出ているものではない。じゃ、どうしたらいいのだろうか。一つの方法としては、身近な人に自分のいい所は何かと質問をしてみることだ。自分からみた自分と、第三者からみた自分とではどこか違うはずだ。その違いがそのひとの良さであり、それが得意とするものかもしれない。いつも笑顔ならそれもあなただけの得意とするもので、他にも机の中をきれいにたもてる、髪の毛をくくるのが上手いとかだ。学校の軽音同好会のある女の子は、空気玉つくることができたりと面白い。得意とするものを見つけると、あとはその得意を研磨するという次のステップに踏み出せる。得意を見つけることは決して難しいことでは無い。なぜなら、人は絶対に何かしら得意とするものを持っているからだ。それが今は、隠れているだけである。次のステップへの階段をつくるためには、隠れているものを見つけることだ。

第二の方法は、苦手分野に執着しないことだ。

前述したように日本では、全体的な平均点が高い人は社会適応能力があるとみなされる傾向がある。一方で、アメリカだとどうなのだろうか。大学の出願においては、「何を深く学び、何を社会に還元できるか」が問われる。また、苦手な科目があっても強みが際立っていればチャンスを得られる社会構造になっており。全体として、苦手よりも、あなたは何が得意なのか」が問われる文化である。これは、アメリカにだけに限った話ではないとおもっている。いくら日本が、社会適応力が高い人間が重宝されていてもといえども、際立った得意がある人はある人で重宝されているはずだ。ここで言いたいのは、得意を伸ばすと同時に、むりに苦手を克服しなくてよいということだ。私自身、吹奏楽部に中学生の頃所属していた。担当楽器はフルートだった。部活動でフルートを練習することでも十分だったがもっと上達したいという思いから両親にフルートを習いたいと申し出た。プロのフルート奏者からみた私のフルートの技術としては改善するところが多く、毎度のレッスンで様々なことをご指導してくれる。その先生のレッスンは楽しく私の音色を受け止めてくれてくれるのが何よりもうれしいことだ。しかし、吹奏楽という大所帯で演奏するとなると周りの人の音色に合わせないと行けなく難しい。みんなに寄せた音色が出るように試行錯誤したものの、自分の特徴であるどこか暗いような音色が見失ってしまったのだ。苦手を克服することはもちろん大切だが、せっかく得意としていたものを見失うということは元も子もない。だから、苦手分野に執着しないことが大切なのである。

確かに、苦手なことが得意になると、今みえている世界とはまた違った世界をみることが出来るかもしれない。しかし、完璧な人間はいないのだから苦手なことが沢山あっていいではないかと思う。また、苦手があってこそ、その人をつくりだしていると思う。一つだけでも得意なことがあると周りから称賛されてりして、自分のことをより好きになることが出来るかもしれない。自分を見つけるにあたって得意を研磨することが大事ではないだろうか。