プレゼントと思い出
   小6 みさ(misa)  2025年7月1日

 私がこれまでにもらったプレゼントの中で、最も嬉しかったのは、祖母から贈られたハイヒールの靴である。私は幼い頃から、おしゃれなものや宝石が好きで、よく祖母のアクセサリーや服を見せてもらっていた。祖母が私にその靴をくれたのは、昨年の十一歳の誕生日のことである。パーティー用の肌色のハイヒールで、とても上品なデザインだった。



 その靴を手にしたときの喜びは、今でもはっきりと覚えている。外食のときなどに、よくその靴を履いて出かけたものだ。母がハイヒールで歩くときの「コツコツ」という音が昔から好きで、私もいつかあの音を響かせながら歩いてみたいと、ずっと憧れていた。そんな私にとって、初めてのハイヒールは特別な意味を持っていた。



 プレゼントといえば、クリスマスを思い浮かべる人も多いだろう。今ではサンタクロースの正体を知ってしまい、あまり胸が高鳴ることもなくなったが、小さい頃は枕元に手紙を書いたり、朝が来るのを楽しみにして眠ったりしていた。



 かつては毎年、プレゼントはクリスマスツリーに吊るされていたが、最近では母が「出すのが面倒だ」と言って、ツリーを出さなくなってしまった。それでも、クリスマスは私にとって楽しみな行事のひとつである。欲しいものがもらえるのなら、飾りつけや演出はそれほど重要ではないと感じている。



 ところで、クリスマスの起源について調べてみたことがある。クリスマスはもともと、約二千年前にユダヤのベツレヘムで生まれたイエス・キリストの誕生を祝う日とされていた。正確な起源は不明だが、古代ローマ帝国やミトラ教の影響を受けているという説がある。また、「クリスマス」という言葉は「キリストのミサ(礼拝)」を意味し、ユダヤ教の祭り「過越の祭」がその背景にあるとも言われている。ちなみに、私の名前は「ミサ」であるため、クリスマスには特別な親しみを感じる。



 嬉しいプレゼントといえば、お年玉も忘れてはならない。お年玉は、子どもにとって重要な“収入源”である。しかし、私は三姉妹の末っ子であり、姉たちに比べると金額が少ないことが多く、少し損をしているように感じてしまう。とはいえ、姉の話によれば、昔は姉の方がもっと少額しかもらっていなかったそうだ。今の私の方が多くもらっているということになるが、やはり比べてしまう気持ちは拭いきれない。



 姉ももうすぐ大学生になるため、今度は私が姉からお年玉をもらおうと考えている。お年玉は、もともとはお金ではなく、餅を贈る習慣だったという。歳神様から「魂(たましい)」を分けていただくという意味があり、そのため「お年玉」と呼ばれるようになったそうだ。現在でも正月に雑煮などのお餅を食べるのは、その名残である。お餅も美味しいが、やはり私としてはお金の方がありがたいと思ってしまう。



 プレゼントとは、人の気持ちがこもった贈り物であり、誰にとっても嬉しいものである。だからこそ、もらったときには感謝の気持ちを忘れずに伝えることが大切だ。自分の思いを込めて贈ったものが相手に喜ばれ、「ありがとう」と言ってもらえたとき、人は「またあげたい」と思うようになる。私も、そうした気持ちを大切にしていきたい。