見せかけのやさしさ
()
年月日
「すみません、今何時ですか?」
迷子になった私は、駅の場所が分からず近くのコンビニでタバコを吸っていたおばあさんに声をかけた。班のみんなとの待ち合わせに向かう途中だったが、どれだけ走っても目印が見つからず、同じ場所をぐるぐる回っているような気がしてきたからだ。おばあさんはやさしく時間を教えてくれたけれど、それだけでは場所は分からず、道路を走っていたおじさんに駅への行きかたをたずねてみた。しかし、教えてもらった方向に行ってみたものの、まったく知らない場所に出てしまい、最終的には家に戻って親に送ってもらうことになった。助けてもらえたことはありがたかった。しかし、迷子にならずに済むように、場所の知識や状況をふだんから把握しておくことも大切だと、私は思った。
何よりも、自分で解決できなさそうなことに立ち向かって、それを解決できた時に一番達成感が感じられると思う。しかし、すべてを完璧に達成できることは少ない。時には助けてあげることが必要だろう。驚いたことに、困っている動物を助けた事例は人間だけに限らないそうだ。国内では、寒い冬に後ろ足をケガして動けなくなっていた野良ネコのそばに、飼い犬が寄り添い、体を寄せてあたためたという出来事があるらしい。ほかにも、アメリカなどでは、桟橋から犬が落ちておぼれてそうになっていたところを野生のイルカが集まり、鼻で岸に押し上げたという実例が数々ある。本能だけでなく、動物同士で困っている相手に気づき行動した姿に、とても感動した。
しかし、手助けが邪魔をしてしまうこともある。中学生では1日90分以上他人からの手助けを多く受けながら90分以上勉強した生徒群は、90分未満のグループと比較して、標準テスト点が平均で5~10%低かったという報告があるそうだ。手を貸しすぎたことが、かえって学習意欲や成果を下げる可能性を示唆している。また、私が学校で使っている道徳の教科書には、右手を骨折してしまった女の子が周りの人に助けられすぎて、治った後もみんなが全部やってくれると勘違いしてしまい、まわりからの信頼が薄れてしまった話がのっていた。「本当に助けた方がいいのか?」と判断するときは、「自分でやり遂げる力を奪っていないか」も意識した上で支援することが大切だと私は思う。
手助けには良い面も悪い面もある。しかし、一番大切なのは相手に対して思いやりがあるかどうかだと思う。手助けされても、うれしくなかったとしても、それが本当に自分のことを心配しているからやったものだと分かれば悪い気持ちはしないだろう。逆に、それが見せかけのやさしさだと分かったときに、手助けをした人はたくさんの信用を失ってしまうに違いない。だから私は、困っている人がいたら、すぐに手を出すのではなく、相手が自分の力でやりたいと思っているかどうかを考えたいと思う。必要なときにそっと手を差し伸べられるような人になるのは難しいかもしれないが、頑張っていきたい。