手助けはよいか
中2 あやあな(asaana)
2025年7月1日
私は、数学が得意な方であり、よく数学の時間に問題を解く時間が設けられるのだが、私は3から5分ほどで終わってしまうので、よく友達のところに行き問題を解くのを手助けしている。
手助けはよい、先ほどの数学の話の続きになるが、私が友達に教えることで助かる人は、実は沢山いる。まず、勉強を教えられている友達は、問題分からないが放置されずに分かるようになることでその分かる時間が増える、増えるとその間にその分かるが使える問題を解くことができ記憶を安定化する事ができる。もし分からないが放置されると、たとえ分かったとしても少ししたら授業が終わってしまい、記憶が安定化しない。また、先生は、各授業に1〜3人しか参加しないのに対して生徒は30人近くいるこうした時先生は全員に教えるために各生徒の机をまわって様子を伺い適切なアドバイスをしなければならないためとても大変であるがその大変な作業を一人だけ減らすことができる。さらに、教えている本人も自分の考えを整理して伝えるためアウトプットができる。話は変わるが、私は英語が大の苦手で、先生に「この時間を使って教科書のここからここまでをすらすら読めるように練習してからテストをしにきてください」と言われた時わたしは、全く英語の読み方が分からず先生に読み方を教わろうとしたが先生は、授業を真面目に受けてない生徒ばかりに行っていて困り果てていた。勉強をしないと怒られるが勉強を教えてくれる人がいないため立ち往生していた時に、英検2級を持っている友達に教えてもらった。そして、無事テストに合格できた。手助けは大切である。
一方、手助けが邪魔になってしまう事もある。例えば、数学で教えている問題が図形の面積を求める問題のときに「この時は底辺かける高さ割る2をするといいよ」と最初から最後まで教えていたらその人は本当にこの公式をおぼえるだろうか教えられながら出来るは、その人の力ではなく教えている人力なのでこの場合は手助けが邪魔になっている。また、私の通学路に信号機のない交差点がある。この交差点を渡る時は車がいなくなるのを待つのだが、たまに止まってくれる親切な車がいる。止まってくれるのはありがたいが正直とても気まずい。そのため最近では、止まってくれないように交差点から2メートルほど離れてから車がいなくなるのを待っている。これは手助けが邪魔になっている。
確かに手助けにはいい面も悪い面もある。しかし、一番大切なことは、手助けはコミュニケーションの一種だと理解し相手がどんなふうに思っているかどんな効果があるのかを理解し会話をしながら相手が自分に対して「ありがとう」という気持ちを抱かせることである。